(滋賀県大津市坂本)
織田信長による比叡山焼き討ち後に復興をした、僧天海の廟所である。 江戸時代初期の禅宗様式を現す建物であり、堂内には国重文の木造慈眼大師坐像を祀る。 境内には天海によって近隣高島から移された、鵜川四十八体石仏の阿弥陀如来座像や 歴代天台座主の墓、桓武天皇の御骨塔などがある。また、隣接して、天海が後陽成天皇から京都法勝寺を下賜された滋賀院門跡や、天台宗務庁がある。
(滋賀院門跡)
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(熊本県阿蘇市黒川 阿蘇くじゅう国立公園)
阿蘇中岳西麓に辿り着く。ここからはロープウェイで火口に向かえるのだが、この日は火山性ガス状態が悪く、滞在中は立ち入り禁止が続いて火口に向かうことができなかった。付近には巌殿寺奥之院や阿蘇山上神社があり、信仰の山の一面も見せている。
(往生岳) (烏帽子岳) (杵島岳)(往生岳) (南郷谷方面)
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(相模原市中央区)
訪れたこの日は急遽、この地に宿泊することになった。横浜線相模原駅を市中心駅としているが、駅北側が在日米軍相模総合補給廠となっていることもあり市街化が進まず、事実上、ターミナル機能としては小田急線相模大野駅に譲り、商業面では隣接する町田に譲っているような状況である。そのため、先年政令指定都市に移行したものの、駅前の雰囲気は人口二十万人程度の市勢を感じさせる。相模陸軍造兵廠が存在した当時、相模軍都計画によって形成された都市計画のため、半放射状の道路、区画が成されている。
(滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)
天正十一年(1583)羽柴秀吉が織田信長の装身具等を安土城二の丸に埋葬して廟とした。また、一段下の長谷川秀一邸跡には信長の子信雄と、その後三代の五輪塔がある。
(織田信長廟)
(織田信雄・高長・長頼・信武五輪塔)
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(山口県岩国市)
島根県境の周南市鹿野、標高1004mの莇ヶ岳(あざみがだけ)より発し、広島湾に注ぐ、全長約110kmの二級河川である。岩国市錦見で今津川と門前川に分かれ、三角州を形成し海に注いでいる。途中には日本三名橋の錦帯橋がある。
(岐阜市加納本町 国登録有形文化財)
大正15年(1926)旧中山道沿いに、建築家武田五一によって設計された、RC造2階建、延床面積534㎡のモダニズム建築である。昭和15年(1940)からは岐阜市加納支所となったが、一時米軍に接収されている。昭和60年(1985)からは岐阜市学校給食会事務所に利用されたが、耐震基準を満たしていないこと等から、平成19年以降は閉鎖され、劣化が進んでいる。
(愛知県南設楽郡鳳来町長篠 国指定史跡)
この地には昭和五十一年から訪れている。特別多くの遺構を残しているわけではないが、寒狭川と宇連川が合流する要害の地に築かれた城である。
(巴城郭跡)
永正五年(1508)菅沼元成が築城した。 元亀二年(1571)菅沼氏は徳川家康に属していたが、武田軍による三河侵攻の一端で、天野景貫が攻めている。その後、武田勢に属することになった。 元亀四年(1573)武田勢は甲斐へ撤退し、間もなく徳川家康によって攻められ落城した。以後、家康によって武田勢の侵攻に備えて城郭が拡張された。 天正三年(1575)武田勝頼は二万五千の兵を率いて、奥平信昌が約五百で守る長篠城を攻め囲み、長篠の戦いが始まった。そして、織田徳川連合軍が勝利し、翌年、信昌は新城城を築城、長篠城は廃城となった。
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(鳳来町記事:鳳来寺山 宇連川大野お井戸の泉 赤引服部神社 三河川合 能登瀬豊岡 川添道乗本 鳳来寺口 三河川合平成二十四年 大草 宇連川川合 奥平仙千代墓所 阿寺の七滝 乳岩峡 乳岩山 川合を東へ 亀淵川 池場 門谷のネズの木 三河槙原 湯谷 平成十一年)
(天台宗比叡山延暦寺 滋賀県大津市坂本本町 世界文化遺産 国宝 国指定重要文化財)
東塔から木立の中の参道を歩き、第二世天台座主円澄が開いた西堂域に差し掛かる。途中には先ず浄土院があり、最澄の廟となっている。
更に進むと、弁慶のにない堂と呼ばれる常行堂と法華堂があり、その向こうには文禄四年(1596)豊臣秀吉によって三井寺園城寺金堂を移築した釈迦堂(転法輪堂)がある。
(椿堂)
(重文 常行堂と法華堂)
(恵亮堂) (重文 釈迦堂) (横川へ続く道)
} (弥勒石仏)
(東京都大田区田園調布・世田谷区玉川田園調布)
自由が丘から歩いていると、私を呼び止める声がした。私の前職時代の知り合いだった。今は田園調布に住んでいるらしく、すっかり住民という感じであった。知人曰わく、田園調布は不動産価値はあるが、そこに住んでいる人たちは意外と慎ましやかで、買い物や幼稚園に子どもを迎えにいくのも自転車であったりと、地味なものだそうである。
田園調布は大正12年(1923)目蒲線の開通と共に開発された田園都市多摩川台住宅地が始まりである。イギリス人都市計画家、エベネザー・ハワードが提唱し、欧米に広まった田園都市理念を、渋沢栄一、息子の渋沢秀雄によってこの地に取り入れ、放射状に区画が成された住宅地となった。
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(滋賀県近江八幡市下豊浦 国指定特別史跡 重要文化財)
安土城主郭の西側は(総の異字体:手偏の総旧字体)見寺の郭である。信長が安土城築城の際、遠景山総見寺を城内に創建し菩提寺とした。
(重文 三重塔 享徳三年 甲賀長寿寺より移築)
(重文 二王門 元亀二年)
(山口県柳井市姫田)
江戸時代中期に創建した黄檗宗光台寺には、明朝様式の楼門があり、その門の下で手を叩くと「ワンワン」と響くことから「わんわん寺」と呼ばれているという。
国木田独歩旧宅の北側にあたるこの場所には、独歩の曽遊地の碑が建っている。