(広島県廿日市市宮島町)
厳島神社の北側、五重塔のある丘を「塔の岡」という。天文二十四年(1555)周防守護大内義隆を殺した家臣の陶晴賢(すえはるかた)を毛利元就が討死させたところとされる。
(旧町役場から望む)
(龍髯(ぜん)の松と町並み)
(塔の岡から弥山を望む)
(国重文 豊臣秀吉造営千畳閣)
(国重文 五重塔 応永十四年)
(厳島神社を望む)
(静岡県磐田市中泉 1982年7月13日)
遠江国分寺の東側には、国を鎮護していた府八幡宮がある。天平年間(729-48)国司桜井王によって勧請されたのが始まりという。
(県文 桜(楼)門 寛永十二年)
(旧宝庫土蔵)
(滋賀県長浜市下浜坂町)
琵琶湖の辺の道を歩いていると、やがて仏像が視界に現れる。北条時頼によって創建されたという臨済宗平安山良畴(りょうちゅう)寺の境内に建つ、青銅製、高さ28mの阿弥陀如来立像である。現在の像は平成6年造立の二代目であり、初代は護国阿弥陀如来という、RC造、高さ27mの昭和12年(1937)に造立された像であった。平成4年、老朽化により解体され、その残骸は境内に埋められた。
(熊本県宇土市)
宇土のまちを歩いていると、小さな川に架かる石橋に出会った。有明海に注ぐ緑川とその支流浜戸川、船場川は、宇土の水運に利用された。石橋の船場橋は、文久元年(1861)に架けられた赤みを帯びる馬門石(溶結凝灰岩製)の橋で、長さは13.7mである。橋の袂には小西行長時代の船着場の跡や、江戸時代の水道である轟泉(ごうせん)の跡、榎の木等があり、また付近には、縄文時代から宇土城下町時代にかけての人々の営みの跡がみられる。
(石ノ瀬遺跡)
(五丁目堰跡)
(轟泉水道井戸)
(根岸競馬場 横浜市中区根岸台 近代化産業遺産)
横浜競馬場は、根岸の高台に、慶応二年(1866)居留外国人の娯楽のために開場したのが始まりである。昭和4年(1929)には、アメリカ人建築家ジェイ・ヒル・モーガンによってRC造の一等、二等馬見所及び下見所が築造された。昭和17年(1942)高台という地形的条件から日本海軍が接収し、軍事施設となった。そして敗戦によって米軍に接収され、昭和39年(1964)に馬見所が、昭和56年(1981)に下見所が返還された。一時期競馬場の復活への動きがあったが、周辺環境の変化から断念され、根岸森林公園となった。また、昭和63年(1988)には二等馬見所が解体されている。
(大阪市中央区神崎町)
谷町筋の西側には、かつて霊場熊野と淀川渡辺津(窪津)を結んだ熊野街道が存在した。その途中に設けられた九十九王子(沿道の神社)の一つ、坂口王子がこの地にあった。
(榎木大明神・坂口王子跡)
(坂口王子伝承地)
(狸坂大明神)
(広島県廿日市市宮島町)
昭和44年(1969)五重塔の建つ「塔の岡」の横、宮島奉行所のあった場所に築造された、RC造地下1階地上3階建ての庁舎である。平成20年、耐震性を理由に庁舎機能を宮島港近くの旧広島銀行宮島支店に移転し、以後旧庁舎は放置されている。然し、耐震調査、耐震工事費、解体工事費等全てに疑問が生じており、今後の見通しが立っていないようである。
(愛知県西尾市高畠町)
「ミカ」は、昭和49年(1974)名鉄西尾駅東に西尾の商店等51店が共同出資して設立された、共同組合西尾ショッピングセンターを母体とする。翌年、地上四階地下一階、延床面積13508㎡の商業施設を建設し、キーテナントにユニー、ヤマナカを迎えたが、平成23年、施設の耐震性を理由に閉店し、間もなく解体された。
(静岡県磐田市中泉 1982年7月13日踏査 国指定史跡)
かつて遠江(とおとうみ)国の中心地であった磐田(いわた)を訪れた。遠江国分寺は、天平十三年(741)聖武天皇の詔(みことのり)によって、日本各地に建てられた国分寺の一つである。昭和26年(1951)の発掘調査によって、南大門、中門、金堂、講堂が南北に並び、金堂と中門を回廊で結ぶ東大寺式伽藍配置であることが分かっている。昭和43年(1968)から跡地の公有化及び整備を進め、昭和46年(1971)史跡公園として開園した。
(地域関連記事:府八幡宮 善導寺の大楠 堂山古墳第7次発掘調査 兜塚古墳 京見塚遺跡群 松林山古墳 高根山古墳 堂山古墳平成三年 見付宿 中泉平成十八年 悉平太郎と霊犬神社 見付学校 遠江国分寺周辺発掘調査 今川範国墓所)
東京、横浜に挟まれ、政令指定都市の中で最も財政が良いとされる京浜工業地帯川崎を訪れた。かつては東海道二番目の宿として栄えたが、往時の面影は殆ど残っていない。近年は、駅周辺に各種施設、ショッピングモール等ができ、かつての工業都市のイメージから変貌を遂げている。正月には初詣客で賑わう川崎大師があり、また、我が家の遠い縁戚が居住する地でもある。
(京急高架下)
(東芝跡地のラゾーナ川崎)
(ラ・チッタデッラ)
(被災したミューザ川崎シンフォニーホール)
(からほり 大阪市中央区谷町)
谷町筋から松屋町筋に続く風情のある商店街がある。商店街の途中に坂のある窪みは、かつての大坂城三の丸外堀であった名残である。上町台地を東西に800mにわたって軒を連ねる商店街であり、昭和25年(1950)にアーケードが設置され現在の姿になった。
(広島県廿日市市宮島町 国登録有形文化財)
厳島神社から南に向かうと、生活観のある町並みが現れる。その一角にあるのが、醤油醸造の商家であった江戸時代末期建造の江上家である。昭和47年(1972)町に寄贈され、建物、庭園を改修し、宮島町立歴史民俗資料館として開館した。
(平清盛像)