(しべちゃ 北海道川上郡標茶町)
塘路より更に足を伸ばし、標茶を訪れる。アイヌ語でシ(大きな)・ペッ(川)・チャ(岸)を表すこの地は、釧路川沿いに栄えたまちであり、かつては標津線や標茶町営軌道が走っていたが、今は廃止されてひっそりとした町並みが広がっている。
標茶町営軌道跡
標茶線第三号橋(風雲橋)跡
(金亀城 滋賀県彦根市 国宝 国指定重要文化財 特別史跡 琵琶湖国定公園 2003年5月4日)
慶長五年(1600)井伊直政は関ヶ原の戦いの功により、十八万石で佐和山城に入城した。直政は手狭な佐和山城から移転する計画を立てたが、慶長七年(1602)に死去。子の直継が幼少であったため、家老の木俣守勝が徳川家康と相談して直政の遺志を尊重し、現在地に彦根城の築城を開始、元和八年(1622)彦根城が完成し、譜代大名最高の三十五万石の藩となった。四代直興のとき、庭園楽々園・玄宮園を整備。また、十五代直弼(なおすけ)は世に知られるところである。
二の丸佐和口多聞櫓
主郭から琵琶湖方面
(長野県松本市安曇上高地 特別名勝 特別天然記念物 中部山岳国立公園)
大正池から梓川に沿って遡る。森の中も豊富な水分にカラマツやクマザサが覆い自然豊かであるが、梓川の流路には立ち枯れの木々が露呈している。
(さなげづか 愛知県岡崎市橋目町新屋敷 市指定史跡 1985年踏査)
矢作川右岸段丘に位置する、橋目荒居古墳群の一つであり、直径30m,高さ4mの円墳である。墳丘上に石室の石材が露出しているが、内部施設は明らかになっていない。
(長野県大町市 2000年7月14日)
深夜の名古屋から急行ちくまで塩尻まで行き、塩尻からは急行アルプスで朝靄の安曇野を快走、大町へ。標高712m、夏ながら朝5時はさすがに寒く感じた。扇沢行きのバス待ち合わせの時間があったので付近を散策。まちは思ったより閑散とした感じであった。
189系急行アルプス折り返しあずさ新宿行
(愛媛県今治市大三島町宮浦)
大山祇神社参拝の後、港の方に向かう。途中、前回訪れたときにはなかった「鶴姫公園」が開設されており、立ち寄ってみることにした。鶴姫は河野氏族大祝安用(おおほうりやすもち:大山祇神社神職) の娘、鶴のことであり、瀬戸内海対岸の大内氏との間で戦いが起こっている最中、兄の安房を失い、代わりに戦場へ赴いた。鶴姫の恋人であった同じく河野氏族の越智安成も討死し、十八歳の鶴姫は二人を追うように自ら命を絶った。
(北海道釧路市・釧路郡釧路町・川上郡標茶町 湿原:特別天然記念物 釧路湿原国立公園)
釧路駅から釧路湿原を走るノロッコ号に乗る。釧路湿原は釧路川周辺に広がる日本最大の湿原であり、葦や菅、タンチョウやキタキツネ、猛禽類等多くの動植物を見ることができる。DE10形ディーゼル機関車に牽引される510系客車(50系改造車)でノロノロと出発するノロッコ号は、東釧路から釧網線に入り、雨の湿原を走って行く。往路は時折大粒の雨が降っていたが、復路は青空はないものの、釧路平野に吹き渡る風が窓から心地よく入っていた。然しながら、放っておいても観光客が訪れることもあってか、周辺他線含め全般的に接客対応は芳しくないと感じた。
釧路川を渡る 岩保木水門 塘路到着 復路はDE10が後ろになる
(関連記事:標茶 シラルトロ湖)
(近畿日本鉄道北勢線 1998年9月12日乗車)
西桑名より軽便鉄道である北勢線に乗車する。軽便鉄道は軌間が762㎜と一般的なものより狭く、ナローゲージと呼ばれる。北勢線は大正3年(1914)北勢鉄道として大山田(西桑名)・楚原間が開業したのが始まりであり、昭和6年(1931)桑名町(昭和36年廃止)ー阿下喜間21.1kmが開業した。
車体幅2210㎜と狭い270系電車(1977年製)
(愛知県豊橋市)
暦の上では秋となったばかりのこの日、運行経路が変わった豊鉄バス新豊線に乗り、市役所前で下車、豊橋市公会堂、ハリストス正教会に立ち寄り、美術博物館で「こわい絵展」を観覧した。豊橋公園に隣接する、東三河事務所から東三河県庁となった庁舎を訪れ、最寄の東八町から赤岩口行市電に乗り、赤岩車庫に到着した。その後は平川神明社を参拝し、岩田運動公園から再び市電に乗り、豊橋駅前に向かった。
豊橋市公会堂
豊橋ハリストス正教昇天教会マトフェイ聖堂
豊橋鉄道赤岩車庫
(関連記事:豊橋市公会堂 豊橋ハリストス正教会 路電豊橋 赤岩口電停)
(浄土宗松本山高祖寺 愛知県岡崎市細川町根古屋 1985年8月)
永正七年(1510)加茂郡大給(おぎゅう)初代城主、松平乗元が城内にあった仏堂を再建し、称名院としたのが始まりである。乗元の死後、松明院と改称され、天正八年(1580)五代真乗のとき、大給から現在の細川の地に移されている。訪れたときは、 文政九年(1826)八代乗羨(のりよし)によって再建された鐘楼門の修繕が行われているときであり、庫裏にて住職から色々と伺った。
三十三観音
元治元年(1864)天狗党の乱(水戸尊皇攘夷派の争乱)の折、天狗党の大挙上洛に備えて岡崎藩が出兵、この松明院に駐屯したため、土塀に銃眼が開けられている。
(東京都中央区銀座)
数寄屋橋公園には、昭和43年(1968)に岡本太郎が製作した時計台がある。東京数寄屋橋ライオンズクラブ設立を記念したもので、高さは8m,周囲は少しずつ変わりながらも、この時計台は変わらぬ奇抜さを伝えている。
(日本総鎮守 愛媛県今治市大三島町宮浦 伊予国一宮 名神大社 旧国幤大社)
凡そ十年振りの参拝である。
神饌田
平成二十二年造営の総門
能因法師雨乞いの楠 国天然 乎致命手植楠 十七神社 室町 重文 拝殿 応永三十四年 重文 一遍参詣記念宝篋印塔
(関連記事:大山祇神社昭和五十七年)
(あっけしこ 北海道厚岸郡厚岸町 道立厚岸自然公園 ラムサール条約湿地)
大平洋厚岸湾と繋がる、汽水湖であり海跡湖である厚岸湖を訪れた。付近は通年牡蠣養殖が盛んであり、海苔養殖を含めてこの地の水産業を支えている。