(山梨県北巨摩郡小淵沢町 2003年8月11日)
清里の帰り、この地に降り立つ。小さなまちであるが、中央東線と小海線の接続駅であり、各地の風が流れ込む。
(曹洞宗諸嶽山総持寺 横浜市鶴見区鶴見 国登録有形文化財)
曹洞宗の二大本山の一つである總持寺は、元亨元年(1321)能登国鳳至郡櫛比庄(石川県輪島市門前町)にそれまであった真言律宗諸嶽観音堂の堂主定賢が、夢枕に立った観音のお告げ「酒井の永光寺に瑩山という徳の高い僧がおる。すぐ呼んで、この寺を禅師に譲るべし」を受け、また相手の瑩山も同じお告げを受けたことにより、諸嶽観音堂は禅院となり、總持寺と改められた。然し、明治31年(1898)本堂から出火し全山に延焼、復興のため明治44年(1911)現在地に移っている。
(岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原 2003年8月3日)
慶長五年(1600)関ヶ原の戦いにおいて、西軍に属した島津義弘が陣所を構えた場所である。西軍が総崩れとなると、島津の退き口(捨て奸:すてがまり)と呼ばれる敵中突破により、島津豊久、長寿院盛淳といった重臣を失いながらも薩摩へ帰国した。
愛知在住のときは月一、二回訪れていた名古屋。転居後八ヶ月振りに訪れ、見え方が違って感じた。
建設中のJPゲートタワーと完成した大名古屋ビルヂング
伏見通
ようやく始まった御園座開発
再開発予定の旧名古屋(東海)銀行本店
大津通
久屋大通公園フラリエ
(横浜市緑区長津田)
大山街道の宿場であった長津田は、古くから町が形成され、継立(つぎたて:人馬を替え貨客を送り継ぐ)の宿場として栄えた。昭和41年(1966)東急田園都市線の開業によって東京のベッドタウンとなったが、元々国鉄横浜線沿線のまちであるため、東急カラーはない。それでも近年は駅周辺の再開発が歩みは遅いながらも進められている。
(愛知県豊橋市石巻本町白石 2005年5月3日)
豊川左岸の河岸段丘であるこの地は、段丘上に縄文時代からの人々の営みがみられ、石鏃製作所があったと推定される。石鏃は白いチャート石で、それが散らばっていたため白石と呼ばれたという。明治時代に入ると、段丘の斜面に牟呂用水が築造され、段丘下の水田を潤す役割となった。白石橋は、段丘の上と下を結ぶため昭和9年(1934)に築造されたものである。
(関連記事:白石遺跡)
(東京都立川市)
東京多摩地域では八王子に次ぐ人口規模の立川。八王子と同じく、中央線を軸に南武線、青梅線、五日市線、多摩モノレール等首都圏環状結束の接点を担っている。戦時中は飛行機が設けられ、戦後は米軍基地となったが、昭和52年(1977)に返還されて以降は商業地開発により発展した。
(滋賀県甲賀市信楽町長野 2004年11月6日)
霊亀元年(715)創建とされ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る。南北朝時代に兵火により焼失し、その後再建されるも大風により本殿が倒壊、寛文三年(1663)に再建されている。また、信楽の地故に、信楽焼の狛犬が奉献されている。