flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

Landmark Gifu Castle

2006-07-31 01:45:03 | 城郭・城下町

 何度となく訪れている岐阜の地。
その中で、私が金華山頂岐阜城に登ったのは、日記を見ると昭和51年、52年、57年、60年、平成15年の5回であった。
 鎌倉時代から江戸初期まで、標高329mのこの稲葉山(金華山)には城が存在していた。その後、明治の終わりまで何も無かったが、模擬天守が築かれ今に至っている。
 岐阜に住む人は、方向オンチの人がいても、この山城を見ればきっと迷子になることはないだろう。
        

(岐阜市記事:織田信長居館 長良真福寺 路電岐阜 太郎丸 揖斐線 美濃町線 芥見 鏡島 鏡島弘法 東御方宝篋印塔 小紅 河渡宿 雄総 護国之寺 長良公園イルミネーション 長良八代古墳 福土山 鷺山 鷺山城 鷺山北野神社の春 加納城 司町 長森城 川手 伊奈波 御鮨街道 加納宿 川手城 新岐阜 本願寺別院 道三塚 旧岐阜県庁舎 柳ヶ瀬遺跡 上城田寺 常國寺庚申塔 石谷 交人 黒野城 下城田寺 打越 市立図書館 常磐トンネル 鳥羽川 新荒田川界隈 船田城 荒田川の桜 茜部大野 日野西 達目洞 逆川 旧岐阜貯蓄銀行本店 徹明門 梅林公園 天神川界隈 長良右岸 漫ろ岐阜08  大晦日 09立秋 晩秋 11 11 広江駅跡 織田塚改葬地 柳ヶ瀬平成二十七年

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愛知の七夕

2006-07-30 00:00:07 | 民俗・伝承
 日本三大七夕といえば、宮城県仙台、神奈川県平塚は確実だが、そして愛知県安城?、一宮?両者は共に三番目を主張している。
 写真は平成3年の繊維のまち一宮と平成15年の日本のデンマーク安城、そして今年の名古屋円頓寺(えんどうじ)である。

一宮本町(左)と安城日の出町(右)
     2006年7月29日の円頓寺商店街
(第50回の準備風景はこちら 第53回
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岐阜川原町

2006-07-29 06:00:26 | 街道・宿場町
 以前、日没間近な頃に訪れたことのある川原町。今回、改めて歩いて見ることとした。
御鮨街道の終点西側に残るこの一角。
濃尾地震や空襲の時代を乗り越え、美濃和紙、荏胡麻、生糸、酒、木材運搬等の長良川水運で栄えた、商家の名残がみられる。
今は鵜飼観覧の玄関口となり、夏には水面に映る打ち上げ花火で辺りは賑わう。
    
(関連記事:長良 御鮨街道ウォーキング
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Interview

2006-07-29 00:00:16 | 天祐語録
事件が起こる度に行われるテレビリポーターによる近隣インタビュー。
あれ程無責任なものはない。
「あの人はこんなことをしていた…」
事件前にその人間の行動を是正、抑止できないのに、インタビューに応じることが道理に反すると感じる。
また、悲しみにくれる被害者に、「お気持ちはいかがですか…」
と質問するレポーター。
その過剰なレポートに対して問うと、「仕事だから」
その行動に疑問を抱く者がその上司に投げかけると「甘えるな」
と言う。

世の中、他人に対する閉塞感と、マスコミの責任は大きい。
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伊勢 亀山城

2006-07-28 06:00:27 | 城郭・城下町
(粉蝶城 三重県亀山市 2003年7月21日)
 東海道を横切り、「石坂」を上って行くと亀山城の石垣が現れる。そしてその上には、三重県で唯一残る城郭建造物として多聞櫓が存在する。
 天正十八年(1590)岡本宗憲が築城した亀山城。
関ケ原」以後は蒲生氏郷臣関一政が美濃国から三万石で移り、次に三河作手奥平信昌四男松平忠明が五万石で居城する。そして我が遠縁三宅氏が三河挙母から移り、本多氏、板倉氏、大給松平氏らが続き、延享元年(1744)六万石で石川総慶が入封後は、明治まで十一代百二十余年、石川家が続いた。
 

(関連記事:亀山城平成二十年 亀山宿平成二十年
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亀山宿

2006-07-28 00:00:37 | 街道・宿場町
(三重県亀山市 2003年7月21日)
 県都津を訪れた後、キャンドル・シティ亀山へ。

 東海道四十六番目の宿場町でもあるこの地は、小さい街ながらも歴史感を受ける風情がある。
街道、城郭、町並み、それぞれを持ち合わせ、限られた時間でも印象を残してくれた。

(関連記事:亀山宿平成二十年 関宿 庄野宿 亀山城 亀山城平成二十年
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戯言…クルマ社会

2006-07-27 06:00:56 | 天祐語録
日本にとって実は残念な社会、それはクルマ社会。
狭い国土に一人一台の自家用車。
二酸化炭素排出もさることながら、人間一人に十倍以上の占有面積。
渋滞道路実はスカスカ。
殆ど一人しか乗っていないのだから。
また人間はクルマに乗ると、鎧を着たように気が強くなる傾向にある。
クルマ優先という意識が高くなる。
歩行者に罵声を浴びせる光景をよく目にする。
そんな意識を生み出す自動車工業界。
従業員を蔑ろにし、利益第一主義の業界。
従業員の素行、ついては家族、地域民意の低下にまで影響する。
実は日常茶飯事の品質不良リコール、起きて当然である。
戦争より多くの死者を出す交通事故。
その企業が環境に取り組む…と言っても、偽善売名行為にしか思えない。
批判を善意行動により軽減させ、世の中をリードしているような自惚れは、いつまでも続いてはならない。
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今治西高校歴史クラブ所蔵品

2006-07-27 00:11:44 | いにしえの人びと

 7月20日は隣りの朝倉村教育委員会で永井教育長とお話しさせて頂き、古墳美術館(再訪)や樹之本古墳(再踏)をまわり、今治市唐子台のお茶屋古墳を踏査した。
 7月21日は波方町水崎遺跡、大角砦、今治市片山平山遺跡、貝塚、天神山古墳及び城跡、馬越鯨山古墳(小千(おち)国造小千命墳墓)を巡った。
 そして7月22日、早くも一週間が経過し、帰宅する日を迎えた。
午前中、鯨山古墳の出土品等を見学するために今治西高校に連絡をとり、向かった。
出土品を収蔵しているところは歴史クラブ教室の中で、ガラスケースの中に今治地方で採集された土器等が陳列されていた。
教室は夏休み歴史クラブの講習が行われていて、担当の先生にケースを開けて頂き、見学させて頂いた。
 また担当の先生が鯨山古墳の出土品は、前任の担任が転任する際、明徳短大の方へ移動したらしいと言っていたが、保管されている埴輪(写真二段目、右側の埴輪)は、赤胎土で内側ナデ、最下段突帯(たが)連続ナデ成形手法の埴輪で、まさしく鯨山古墳のものであった。
一部が移動されたということだろうか…。

今回も父の故郷及び祖先ゆかりの地を巡った。
歩くところ全てが関連の地であり、何一つ無意味な場所は無いのである。
(※朝倉村、波方町は2005年1月16日、合併により今治市となりました)
  (7/15.16今治 7/17東予市 7/18伯方島東禅寺薬師まつり 7/19北条新城山北条鹿島

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北条 鹿島

2006-07-26 06:00:11 | 孝霊天皇流族関係記事

(愛媛県北条市鹿島 瀬戸内海国立公園)
 新城山から立岩川河口を通り、北条市街へ戻る。
港から渡船に乗り沖合い400m、鹿島へ渡った。
島は周囲1.5km、最高所114mの小さな島であり、地域の休養地となっている。
この島も、河野一族今岡氏の城が存在し、海上防御の役割を担っていた。
然し今は、野生の鹿も棲み、のんびりとした雰囲気が漂っている。
海岸で休んでいると、付近の家族客から「鯛めし」をご馳走になった。
そして海を眺めると、東予地方の海より透き通って見えた。
 
鹿島から北条市街、高縄山を望む
(北条市は2005年1月1日、合併により松山市となりました)
(7/15.16今治 7/16東予市 7/18伯方島東禅寺薬師まつり 7/19北条新城山 7/20.21.22
(関連記事:善應寺 高縄神社

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北条 新城山

2006-07-26 00:00:31 | いにしえびとの睡

(愛媛県北条市下難波 1991年7月19日)
 この日は北条市役所教育委員会、市長公室、商工観光課に立ち寄り、市北部下難波、新城山中腹にある新城(しんじょう)古墳群を踏査するため、詳細なことを訪ねたが、現地へ行った職員がいなく、正確なことがわからなかった。ただ付近の山は“ハメ”(マムシのこと)が多くて危険なので十分注意したほうがいいと言っていた。そこで現地へ直接行き、散策してみた。
 比較的残存状況の良好な 3号墳、5号墳は共に山林と蜜柑畑との境界線付近に位置し、共に石室を2つずつ持っていて、6世紀の長方墳である。 3号墳の石室1基は未開口であり、もう1基は奥壁に石棚を持っているが羨道(せんどう=入口)付近が埋没していて縦に幅40cm程しか開いておらず、内部に入ることができなかった。5号墳も石室2基あるが、こちらは両方入ることができた。
 新城山の麓のにも、やはり縦に開口している古墳があり、その南側には農業倉庫の土台となっている古墳が、玄室の一部を残し確認できた。これらの古墳からは土師質埴輪片や須恵器片が散見していた。
 
新城山尾根から高縄山986m及び河野城跡を望む

新城5号墳内部
(7/15.16今治 7/17東予市 7/18伯方島東禅寺薬師まつり 7/19北条鹿島 7/20.21.22
(関連記事:善応寺(河野塚)古墳

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東禅寺薬師まつり

2006-07-25 06:00:04 | 民俗・伝承
伯方島から今治に戻り、蔵敷町(昔は神ノ木通といった)にある東禅寺の薬師まつりに出向いた。
父はよく、近所のこの東禅寺に子供の頃遊びに訪れ、この夜店も懐かしいと言っていた。然し当時より盛大さが無くなったのが寂しいとも言っていた。
また父が子供の頃「薬師さん」の横にある墓から火の玉が地表近くを漂っているのを見つけ、捕まえようとしたら消えてしまった思い出も話してくれた。

 (7/15.16今治 7/17東予市 7/18伯方島 7/19北条新城山 北条鹿島 7/20.21.22
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伯方島

2006-07-25 00:00:30 | 城郭・城下町

(1991年7月18日)
 塩で知られる伯方(はかた)の町。
この日は今治港から伊予大島まで船で渡り、バスで伯方・大島大橋経由で島入りした。
 先ず町役場教育委員会に立ち寄った。ここでは職員の山岡氏から町の説明を受け、資料も得られた。
また山岡氏のご好意により、伯方島内を案内して頂けることとなった。
郷土史料館は休館日であったが、開けて頂き、見学することができた。
伯方港に面したところにある小山、金毘羅山は最近山頂にある遺跡、古墳、城跡を発掘調査し、近年中にこの山にあった木浦城の建物を建設するということを語られた。この金毘羅山にも訪れる予定だったが、崖崩れや雑木が生い茂り登れない状態にあるというので差し控えた。
 能島村上の館跡にある村上家墓所に参拝した後、能島村上家の菩提寺、禅興寺を訪れ、本尊及び千手観音像等を拝見した。
続いて村上水軍が「船折瀬戸」を通る船から通行税を徴収した見近島や「鶏小島」(手前側に二つ並ぶ小さな島)を眺望。
その見近島も現在は本四架橋の橋脚の土台となっている。
 次に「喜多浦八幡大神社」では、文政十二年に奉納された八幡船の模型と「亀石」(写真、神社標柱前の石)を見た。
この後立ち寄ったところが、村上水軍の北浦城跡に建つ「薬師堂」
室町時代の寄木造りの薬師如来坐像と日光菩薩立像、月光菩薩立像、そして不動明王、弘法大師像が安置されているが、普段は内陣の戸が閉められているので見ることができないが、この日が十八日の縁日で、地区のお婆さん達が集まってきて、堂内でお参りすることができ、また皆さんのお話しも聞くことができた。
毎朝お茶を上げたり、灯明を点したり、線香を焚いたりするそうで、この土地の人達の信仰の厚さと純朴さが十分伝わってきた。
 このお堂に当初は訪れる予定もなく、縁日も知らないのに訪れることができたことは、様々なお導きがあったからだろうと思っている。
瀬戸大橋が段々と全通する日が近づいているが、この島はいつまでも変わらずあってほしいと思わずにはいられなかった。
   
※越智郡伯方町は2005年1月16日、合併により今治市となりました。
 (7/15.16今治 7/17東予市 7/18東禅寺薬師まつり 7/19北条新城山 北条鹿島 7/20.21.22

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東予市

2006-07-24 01:00:00 | 孝霊天皇流族関係記事

(愛媛県東予市 1991年7月17日)
(訪問順:東予市役所・東予市郷土館・東予市図書館・東予市中央公民館・鶴岡八幡社・長福寺・多賀公民館)
 今治市の東隣りに位置する東予市。私は初めてこの地を歩いてみるが、我が親類に関係する地でもあるようだ。市としてはまだ、まちの文化財に関する冊子が無いということで、編集段階にあるとのことであった。
 完成して間もない、市郷土館を訪れ、副館長さんからご説明頂いた。ここには、瀬戸内海に生息し天然記念物に指定されているカブトガニが飼育されており、異彩を放っていた。
 次に、河野通有が最後に居館を構えた場所であり、戦死者を弔うため通有が建立した長福寺を訪ねた。境内には墓碑というより供養のために立てられたと思われる宝篋印塔があり参拝したが、遺骸のある墓所はどこにあるのだろうか。また、同寺現住職からもお話しを頂いた。

(東予市は2004年11月1日、合併により西条市となりました)
 (7/15.16今治 7/18伯方島 東禅寺薬師まつり 7/19北条新城山 北条鹿島 7/20.21.22
(関連記事:壬生川 鷺森 中村城 三芳 医王山

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今治 平成三年

2006-07-24 00:00:08 | 城郭・城下町

(1991年7月15日~22日)
 朝六時出発、午後十二時三十分、父の故郷愛媛県今治(いまばり)に到着。
予讃線高架化工事が完成し、今治新駅舎が完成していたが、駅前整備はまだ途中であった。
 市教育委員会で今治史談会の会費納入をし、来島海峡大橋建設に伴う馬島地区遺跡の調査報告書を作成中との話しを聞いた。

 今治城では企画展示が催されていた。河野勝一氏寄付による山里櫓再建及び展示品を観覧した。

 市一番の河川、蒼社(そうじゃ)川へ向かい、取水により水が殆ど流れていない川の中州を歩いてみた。
左岸側(黄金町六丁目地内)川床から弥生土器8片を採集した。
遺跡とされる、上流1kmの地点から流れて来たものと思われる。
この川も、長い歴史の中で氾濫、改修により流路を変えてきたことがよくわかる。

次の日は、市内町谷へ墓参りに向かった。
  
 
 (7/17東予市 7/18伯方島 東禅寺薬師まつり 7/19北条新城山 北条鹿島 7/20.21.22

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豊科高家庚申塔

2006-07-23 21:00:38 | 石のまもり
 梓橋駅へ戻る途中、硬い自然石に浅く線刻されただけの庚申塔が目に入った。
まるで古代の線刻画のような簡素なものだが、青面金剛に持ち物、日月、二鶏(雄雌)三猿(見ざる言わざる聞かざる)が彫られていた。

 松本市街へ戻り、付近の雰囲気を感じ得ようと散策。
そして、またもや得意の即日帰郷を成し遂げた。
 出向いたところが偶々暑かったのかと思っていたら、我が方は更に酷暑であったようであった。
何にしても、心の過負荷熱は冷やされた模様である。
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