(北九州市若松区本町 国登録有形文化財)
大正2年(1913)三菱合資会社が門司支店と共に洞海湾沿いに開設した事業所である。初代両支店長は我が家の同姓の親戚であり、物言わぬ建物であるが親しみを感じた。昭和44年(1969)に上野海運の所有となり、階上は賃貸スペースとなっている。
(厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院 北海道函館市上湯川町)
明治31年(1898)に創立したカトリック観想修道会である。大正14年(1925)失火により焼失したが、昭和2年(1927)に再建されている。
(愛知県新城市富岡字大原 1983年踏査)
墳丘の現存する1号夜泣石古墳と2号墳の東には、石室奥壁のみが残る古墳がある。付近にはかつて、合わせて10基の古墳があり、大原古墳群と呼ばれているが、その多くが開墾により失われている。
(札幌市南区石山二条 市都市景観重要建築物 さっぽろふるさと文化百選)
定山渓鉄道石切山駅前において開業していた、昭和15年(1940)築造、程近くで採石の札幌軟石を用いた2階建の郵便局舎である。昭和49年(1974)に札幌南郵便局に改称し、平成8年には真駒内に移転した。その後は民間の貸しスペース「ぽすとかん」となっている。
(北九州市戸畑区・若松区・八幡西区・八幡東区)
戸畑と若松の間には、凡そ長さ10kmの細長い内海がある。官営八幡製鉄所等産業進出によって沿岸部は埋め立てられ、幅が狭くなったことで大きい川のように見える。実際、紀貫之も大渡川と詠んでいる。近代は鉱物輸送で栄え、周辺は財閥企業が名を連ねた。若松南海岸には、出入船舶見張り所跡や石炭荷役(沖仲仕:おきなかし(ごんぞう):港湾労働者)の詰所を再現した「ごんぞう小屋」、伝馬船の船着場の跡等がある。
(若戸大橋 1962年開通) (若戸渡船戸畑渡場から若松を望む)
(若松渡場から戸畑を望む)
(ごんぞう小屋と弁財天上陸場)
(関連記事:旧共同漁業ビル 旧三菱若松支店 杤木ビル 若松恵比須神社 旧古河鉱業若松ビル 筑豊線)
(富山県高岡市本丸町)
昭和9年(1934)に築造された、RC造3階建屋階付のビルである。昭和35年(1960)からは高岡市役所庁舎となり、昭和55年(1980)の新庁舎移転後は高岡市本丸会館として利用されている。尚、高岡市は建物の老朽化及び補修維持困難を理由に解体する方針があるが、対して市民側による保存運動も起きている。
(大塚 王塚 愛知県豊橋市石巻平野町奥原 1983年踏査)
四ツ谷川(豊川水系間川上流)流域に位置する、全長34m,高さ3.5mの後期前方後円墳である。昭和の初めに発掘調査が行なわれ、横穴式石室内から鍔(つば)、刀子、須恵器等が出土したが、既に盗掘がされていたという。
(写真は石室天井石)