(東京都目黒区上目黒)
目切坂の坂上に富士塚の跡がある。文化九年(1812)富士信仰の富士講が築造した富士山に見立てた塚である。文政二年(1819)中目黒にも富士塚が築造され、前者を元富士、後者を新富士と呼ばれた。明治11年(1878)元富士の一角が岩倉具視の邸宅の敷地になる際に塚上の祠を目黒氷川神社に移した。その後、同地が根津嘉一郎邸になる際に塚は削平された。戦後は国鉄所有となり、平成7年(1995)東京都及び目黒区所有の空き地となり、近年東京音楽大学代官山キャンパスが設置された。
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(東京都墨田区太平)
長禄二年(1458)太田道灌が江戸城築城の際、鬼門の方角である平川村(千代田区一ツ橋)に日蓮宗本住院として建立したのが始まりである。慶長十年(1605)神田柳原、そして谷中清水町(台東区)、元禄八年(1695)現在地へと、江戸城の拡張に伴い移されている。
(広島県福山市北吉津町 2007年8月8日)
福山城の北東には二つの神社仏閣がある。観音寺は、慶安四年(1651)創建とされる真言宗の寺院であり、本堂は県指定重要文化財となっている。艮神社は天永年間(1110-3)素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る牛頭天王社として西隣の木之庄に創建し、建武元年(1334)伊邪那岐神(いざなぎのかみ)を併祀して現在地に遷座、秋州津神社と改称された。元和五年(1619)福山城築城の際、藩主水野勝成が城の鬼門の方角とされる丑寅(北東)を鎮護するため、秋津艮大明神として改称された。後に創建された観音寺も鬼門鎮護の寺院である。
(広島県福山市北吉津町 2007年8月6日)
松廼尾山に鎮座する福山八幡宮に向かった。福山城築城までは、城のある常興寺山(蝙蝠山)に鎮座したとされ、二組の社殿を持つ、別表神社である。
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