(滋賀県坂田郡米原町醒ヶ井 2004年7月4日の日記から)
中山道六十一番目の湖国宿場町であり、古来鎌倉街道が通っていたこの地は、養老山系の湧水が豊富であり、生活用水として現在も人々を潤している。伊吹山に住む大蛇を退治にきた日本武尊(ヤマトタケル)が、高熱で倒れたとき、この地の湧水で身体を癒したと伝えられている。
梅雨の今は、梅花藻の花咲く時節でもある。今年は水量が多く、藻類も元気良く靡いていた。また来訪者も清涼感を求めて、大勢緩やかに流れ歩いていた。
旧醒ヶ井郵便局 大正4年
(関連記事:醒ヶ井)
ペダルでBack of alleyしていると、突然ギア変速機が折れ、走行不能となった。
仕方なくホントに漫ろ歩いて移動することとなった。
ゆっくりとした景色の移り変わりが見慣れた光景の奥深さを現していた。
仕方なくホントに漫ろ歩いて移動することとなった。
ゆっくりとした景色の移り変わりが見慣れた光景の奥深さを現していた。
その業界は一段落といったところであろう。
あの世の人と接するとき、日没後や雨天時の墓参はご法度と言われているが、それは未浄化霊を連れてくることが一番多いからだと言う。
然しながら、霊は墓場だけに居るものではなく、何処にでも居るのである。
墓場や神社仏閣なら未だしも、トンネルや廃墟、古びたものに対して、霊が居る…というのは如何なものか。
雰囲気と外見で霊の有無を判断することは、守る者に対しての隔たりでもある。
私は言う、貴方の横には今、霊が居るよと…。
あの世の人と接するとき、日没後や雨天時の墓参はご法度と言われているが、それは未浄化霊を連れてくることが一番多いからだと言う。
然しながら、霊は墓場だけに居るものではなく、何処にでも居るのである。
墓場や神社仏閣なら未だしも、トンネルや廃墟、古びたものに対して、霊が居る…というのは如何なものか。
雰囲気と外見で霊の有無を判断することは、守る者に対しての隔たりでもある。
私は言う、貴方の横には今、霊が居るよと…。
(三重県桑名市 1982年5月21日)
東海道桑名の宿、伊勢路の玄関口を訪れた。
父が故郷今治に似ているかもしれん…と言っていた。海に面する城下町という点からであろうか。
城跡のある九華公園へ足を運ぶと、本丸、二の丸という跡はあるものの、城郭のイメージが湧かなかった。それは、天守閣、櫓の有無ではなく、石垣が殆ど残されたいなかったからである。明治初期に四日市港を築く際、材料として使われてしまったからだという。また城内には、松平定綱(鎮国公)と実父松平定信(守国公)を祀る護国鎮守神社が鎮座する。
(2004年4月4日)
桑名城は元々、桑名東城という伊藤武左衛門が住する小さな城であった。
天正二年(1574)織田信長臣滝川一益が城主となり、のち神戸(織田)信孝、天野景俊、服部一正、一柳直盛、氏家行広、松平家乗と変わり、慶長六年(1601)からは本多忠勝十万石となった。忠勝のとき、城郭を拡大。四層六重の天守、五十一の櫓と城下町が造られた。
元和三年(1617)本多忠政のとき、播磨姫路へ移封となり松平定勝が入城し、以後親藩の松平氏、奥平氏、久松氏、松平氏と続き幕末を迎えた。元禄十四年(1701)に大火に遭い建物を焼失。以後天守は再建されず、櫓を天守代用とした。
「蟠龍櫓」(昇天前のうずくまった姿の龍の意)は平成15年に国土交通省揖斐川水門統合管理所を設置する際、模擬再現されたものである。
(2005年10月31日)
(関連記事:六華苑 桑名宿 諸戸水道貯水池遺構 走井山)
台風が通り過ぎる。
ときも通り過ぎる。
万博も閉幕まであと一ヶ月。
まだ300万枚以上分もの入場券所持者が訪れていないという。
あるアンケートで、10人に1人は訪れたいと言っているが、残りの人は特に行こうと思ってない、また行こうとは思わないという結果があった。
私が他の地方に出かけた際に、遠いしとか、万博という感じがしないから、わざわざ行く気がしない等の答えが聞かれた。
事実、開催地周辺住民が何度も出かけ、数字を稼いでいるようで、東海地方博の様相を呈している。
ときも通り過ぎる。
万博も閉幕まであと一ヶ月。
まだ300万枚以上分もの入場券所持者が訪れていないという。
あるアンケートで、10人に1人は訪れたいと言っているが、残りの人は特に行こうと思ってない、また行こうとは思わないという結果があった。
私が他の地方に出かけた際に、遠いしとか、万博という感じがしないから、わざわざ行く気がしない等の答えが聞かれた。
事実、開催地周辺住民が何度も出かけ、数字を稼いでいるようで、東海地方博の様相を呈している。