(愛知県豊川市小坂井町欠山)
菟足(うたり)神社の東に鎮座する稲荷神社である。付近には河岸段丘に沿って幾つもの湧水があり、そこに祀られていた水利のための農業神である稲荷祠、あるいは菟足神社の末社が発展したものと推定できる。社伝では、明暦年間(1655-58)現在地に保食命(うけもちのみこと:五穀神)を祀る社殿を建立し、延享四年(1747)に社殿が改築されたとあり、更に文政十三年(1830)伏見稲荷より五神(倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、太田命(おおたのみこと)、大宮姫命(おおみやひめのみこと)、保食命)を改めて勧請し、五社稲荷となったとされる。本殿は五社稲荷古墳(古墳時代中期、直径33m,高さ4.8m,周濠を持つ)と呼ばれる円墳の上に建ち、奥の院脇には主墳の陪塚(ばいちょう)とされる小さな円墳(糟塚(かすづか)古墳、直径18m)がある。昭和56年(1981)現在の本殿を改築する際に古墳の発掘調査が行われたが、主体部は既に破壊され確認できなかった。また、昭和2年(1927)愛知電気鉄道(1935-名古屋鉄道)豊橋線築堤建設にあたり、神社西側の段丘の土砂が使用され、その際に欠山貝塚が発見された。後に弥生時代後期後葉の指標となる欠山式土器が多数出土し、平井稲荷山貝塚や菟足神社貝塚、樫王貝塚等、豊川右岸旧海岸線における一大遺跡群を成している。
本殿と古墳
大鳥居
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