flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

眠り猫

2012-05-31 23:00:54 | kourei-ki-日記-

 いつも通勤途中で相手をしてくれる白い猫は、今日は終始眠り猫であった。

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来迎松城

2012-05-31 00:00:06 | 城郭・城下町

(愛知県新城市富永字鎌屋敷 市指定史跡 1982年9月再踏)
 飯田線の車窓からポツンと見える土盛りと祠がある。これは来迎松城の土塁の一部である。東の大宮川側には堀の名残があり、飯田線の南側にある理髪店が建てられる前までは、そこに堀が存在したという。
  
 三河国二葉松(みかわのくにふたばのまつ:江戸中期の地誌)には、設楽越中守守通根城とし、正和元年(1312)に振草庄設楽郷(東栄町中設楽)から設楽庄設楽村(新城市富永)に移住し、周辺二十六村を領したのが始まりとされる。城主は隣接する構屋敷(かまえやしき)に住し、この城は家臣の夏目信久、清宗が守った。

(関連記事:設楽郡川路村の諸城

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油小路

2012-05-30 00:00:43 | 街道・宿場町

(京都市中京区油小路)
 油小路は、南北に伸びる平安京時代からの道路である。幕末には油小路事件(新選組と御陵衛士の抗争)が起きている。また付近には、元治元年(1864)の大火後に再建された、呉服商の野口家住宅等がある。
 

(関連記事:下京油小路

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川平湾

2012-05-29 00:00:07 | 海道・みなと

(かびらわん 沖縄県石垣市 西表石垣国立公園 国指定名勝)
 石垣島の北側に位置する湾であり、サンゴ礁を形成している。


(ボチョウジ)

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丸の内界隈

2012-05-28 00:00:58 | 漂い紀行

(東京都千代田区丸の内)
 先回は仕事で訪れたこの地だが、今回は私用で訪れた。我が家にとって無縁ではない界隈だが、今の私には無関係以上に遠い。
     

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相楽 加茂

2012-05-27 00:00:01 | 街道・宿場町

(京都府木津川市加茂町)
 天王寺から関西線に乗ると、「大和路快速」の終点はこの地である。
 かつては木津川の舟運の湊でも栄えたが、正徳五年(1715)洪水により機能を失い、以後は伊賀街道と信楽街道の要衝として栄えた。


(関連記事:相楽岡崎 恭仁京山城国分寺 山背当尾 仏谷磨崖仏 大門石仏群 阿弥陀石龕仏 藪の中三尊磨崖像 浄瑠璃寺 愛宕燈籠 唐臼の壷二尊 笑い仏と眠り仏 岩船寺

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七鳥

2012-05-26 00:00:21 | 漂い紀行

(愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥)
 久万から旧美川村の七鳥(ななとり)地区に差し掛かる。七鳥は、岩屋山に七霊鳥が棲むという伝説から名付けられたという。その岩屋山に建つ、岩屋寺に向かった。
  (仁淀川水系直瀬川)

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旧安田銀行函館支店

2012-05-25 00:00:14 | STRUCTURE-構造物残影-

(北海道函館市末広町 市景観形成指定建築物)
 昭和7年(1932)に築造された、RC造2階建、ルネッサンス様式のオーダー(列柱)を持つ銀行建築である。昭和23年(1948)安田財閥解体後は富士銀行となり、昭和43年(1968)まで使用された。その後は外国人向けホテルとして利用され、昭和63年(1988)からは一般向けホテルに生まれ変わったが、平成21年に廃業し現在は閉鎖されている。

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摩訶戸1号墳

2012-05-24 00:00:11 | いにしえびとの睡

(まかごこふん 愛知県新城市一鍬田字下六田 市指定史跡 1982年9月再踏)
 摩訶戸神社の背後に広がる15基からなる古墳群の一つで、直径12m,高さ3.2mの両袖式石室を持つ、6世紀後半の円墳である。
 

(関連記事:摩訶戸4号墳

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祇園東山 平成二十三年

2012-05-23 00:00:33 | 漂い紀行

(京都市東山区)
 京都に訪れると、最近はこの辺りが拠点となって行動している。



(関連記事:ねねの道 祇園平成二十二年 祇園平成二十三年

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唐人墓

2012-05-22 00:00:00 | いにしえびとの睡

(沖縄県石垣市新川)
 咸豊2年(1852)中国の廈門(アモイ)からカリフォルニアへ航行中のアメリカの苦力(クーリー:アジア人単純労働者)の乗る貿易船、ロバート・バウン号内で、船長の苦力虐待を契機に暴動が発生した。そして、石垣島沖合で座礁し、380人の中国の福州出身苦力が石垣島に上陸して収容された。 その後、離礁したバウン号の報告を受けてイギリス船2隻が石垣島に来航し、苦力のいる収容所を砲撃した後、武装した兵士が上陸して逃走した苦力を射殺、捕縛した。捕縛を免れた中国人300人は琉球王国に保護されたが、翌年中国に送還された172名以外は病死、自殺、行方不明となった。これを弔った三百唐人墓と呼ばれる石積みの墓が築かれたが、まだアメリカ統治下であった昭和46年(1971)これら墓を纏めるためにこの唐人墓を造り、改葬された。
(唐人墓から観音崎方面を望む)

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西五反田

2012-05-21 00:00:43 | 街道・宿場町

(東京都目黒区西五反田)
 中原街道を東に進むと、五反田に差し掛かる。


(関連記事:東五反田

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口縄坂

2012-05-20 00:00:54 | 街道・宿場町

(天王寺七坂 大阪市天王寺区下寺町・夕陽丘)
 釜ヶ崎から日本橋を経て、この地に差し掛かる。母の生家があった場所に程近い天王寺へは久し振りに訪れた。

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久万高原

2012-05-19 00:00:28 | 漂い紀行

(愛媛県上浮穴郡久万高原町)
 松山平野から標高720mの御坂峠を越えると久万高原に差し掛かる。「久万:くま」は山あいの窪みを意味するとされ、周囲を見渡すと所々岩が露出した山が視野に入る。

 更に進み、旧美川村の七鳥に向かった。

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金森赤煉瓦倉庫

2012-05-18 00:00:45 | STRUCTURE-構造物残影-

(北海道函館市末広町)
 豊川埠頭の側には、煉瓦造りの倉庫が立ち並ぶ。函館で商船会社を営んでいた渡邉熊四郎が、前年の函館大火を踏まえて明治40年(1907)煉瓦造りの倉庫を築造した。昭和末期頃から倉庫需要が減少し始めたため、一部の倉庫を商業施設として改造し、現在に至っている。

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