(愛媛県今治市宮ヶ崎 2003年5月1日)
昭和32年(1957)に開業した、職員十数人の小規模内科、外科病院の跡である。以前訪れた時は現役の病院で、周囲は木々で鬱蒼としていた。廃院後のその風体から、心霊スポットとなってしまっている。私の親類が、近隣で医院を開業しているため感慨深いものがある。近年、病院前のバス停名が地名に改められた。
小樽駅から中央通りを港に向けて下って行くと、手宮線跡や旧四十七銀行小樽支店、明治20年代に築造された小樽倉庫等の近代遺産がある。そして、港の手前には運河があって、小樽の情景を現している。
海鮮丼を食した後、観光客相手の店が軒を連ねる堺町通りを歩く。途中から硝子商の北一が軒を連ね、事実上北一通りとなっている。 ヴェネツィア美術館では、ワインを口にした。
(千葉市中央区院内 旧県社)
千葉氏によって妙見宮が創建されたのが始まりとされる。千葉忠常の子覚算により伽藍が整備され、長保二年(1000)北斗山金剛授寺として再興した。当初は本地垂迹 (ほんちすいびゃく:神仏習合)である妙見菩薩が祀られる寺院であったが、明治維新の神仏判然令によって神社となった。祭神は妙見菩薩の化身である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。
(愛知県蒲郡市)
暑い季節に差し掛かったが、海岸に近いこの辺りは爽やかな風が流れていた。三河三谷駅を降り、駅前の肉屋で自家製カツを買い、八剱神社で一休みした。平坂街道を西に進むと、解体されている古い日本家屋があったが、前回訪れた最もやはり解体されている日本家屋があり、少しずつ光景が変化していた。架け替わった西田川凱旋橋を渡ると旧市街域になり、私が生まれた場所に差し掛かる。
蚊取豚 一つ百円
(東京都目黒区中目黒)
祐天寺駅界隈から駒沢通りを渡ると、祐天寺がある。私の号、及び菩提寺が天祐であるため感慨深いものがあった。
享保三年(1718)増上寺三十六世住職であった祐天がこの地で入寂し、弟子であった祐海が住職となって祐天の廟を建立、そして享保八年(1723)に祐天寺の寺号が正式に許可されたのが始まりである。 祐天が下総国飯沼(茨城県常総市豊岡町)の弘経寺の住職であったとき、羽生村(常総市水海道羽生町)の累という女の怨霊を成仏させた累ヶ淵の説話は有名であるが、境内にはその累の墓(分骨)があり、また大正天皇の生母柳原愛子の墓がある。
(愛知県岡崎市伊賀町東郷中 旧県社 1990年4月11日)
文明二年(1470)松平親忠が松平氏の氏神として創建したのが始まりである。その後、徳川家康により社殿の改築が行われ、更に徳川家光のとき、社殿を拡張し、家康の霊を東照大権現としてを祭神に加えている。