(静岡県富士市中央町)
寛永十六年(1639)東海道吉原宿(元吉原:富士市鈴川)が高波で被災し、中吉原(富士市依田橋)に宿場が移転した際、元吉原に祀られていた木元神社を分祀したのが始まりである。然し、延宝八年(1680)再び高波により被災し、宿場と共に新吉原に遷座した。当初は慈眼寺(廃寺)の境内に鎮座したが、町の鎮守として現在の富士市今泉に遷座している。昭和29年(1954)吉原高等学校建設により現在地に遷座した。
(愛媛県今治市東村 2007年3月27日)
南北朝の頃、同族である北朝方細川頼春が南朝方新田義貞の甥大館氏明が守る世田山城に攻め入り、氏明らは自害した。頼春らは東村の真光寺に進駐して、氏明らの「首実験」(敵方の斬った首を見て人物を見極める行為)を行い、この地に墓が建てられた。
(関連記事:海松山真光寺)
(愛知県豊川市三上町池添 2007年3月23日)
三谷原との境のこの辺りは、豊川の旧流路であり、霞堤の跡であり、また、都市計画道東三河環状線の予定地である。近年、圃場整理が行われ、古くからの不揃いな農地が失われつつある。
(愛知県豊橋市下条東町古城 2007年3月23日)
豊川(とよがわ)左岸の旧堀之内村の低地に存在した城館である。天正元年(1573)菅沼定盈(みつ)が築いたとされ、時代を経てなだらかになった堀と土塁が残る。館跡の一部が曹洞宗宝光山金西寺となっている。同じ下条東町、白井麦右衛門の旧五井村古屋敷と混同されることがある。
(東京都中央区日本橋室町)
明治41年(1908)東京薬種貿易商同業組合(現公益社団法人東京薬事協会)が、東京上野の五條天神社から神棚として薬祖神である大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなびこなのかみ)を分霊したのが始まりである。昭和4年(1929)には屋上に社殿が造営され、平成28年(2016)再開発により福徳神社隣に遷座した。
(愛知県豊橋市多米町 2007年3月23日)
神亀三年(762)創建という真言宗赤岩山赤岩寺の背後には、その名の通り赤岩山がある。標高は320mで、赤石山脈弓張山系の西端の一つであり、別名三河富士という。赤岩山は堆積岩の一つ、赤いチャート岩石が露頭しているところからそう呼ばれるようになり、それが寺名にもなった。
(愛知県豊川市東上町勝川 2007年3月22日)
勝川の城山には、創建は明らかではないが稲荷神社が鎮座する。昔、村人が当時禁忌となっていた肉を食べたところ、神社の崖に棲んでいた白狐が昼夜問わず上へ下へと動き出したため、村人はそれを恐れて今後は肉を食べないと誓い、証文を添えて祈祷師に祈祷してもらったところ、それ以来白狐は現れなくなったという。