(沖縄県那覇市前島)
この日は座間味など近隣の離島に訪れようと泊埠頭にやってきたが、気象状況が芳しくなく、欠航あるいは復路欠航の可能性があったため断念した。泊埠頭は琉球王国時代から交易の港として使われ、第二次世界大戦後は米軍によって港の改修が行われた。1995年には現在の旅客ターミナルビル「とまりん」が竣工し、離島への拠点港となっている。
(守山古墳群 名古屋市守山区守山字市場 1990年6月6日踏査)
墳丘上に白山神社が建つ、全長95m,高さ6.5m,前方部の長い、柄鏡式の前方後円墳である。白山神社は養老年間(717-23)加賀白山比咩(口篇に羊:しらやまひめ)神社から勧請されたと伝わるが、勧請元と創立が同時期とは考えにくく、また、古墳築造から然程経っていない時期に埋葬者と異なる祭神の社殿を設けるのは考えにくいため、神社は後世の勧請であろう。
(Chiesa di San Simeone Piccolo イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア市サンタクローチェ)
1738年、建築家ジョヴァンニ・アントニオ・スカルファロットによって建設されたネオクラシック(新古典主義)様式の教会建築である。
(がまごおりこう 愛知県蒲郡市)
この日は生命の海科学館を見学した後、蒲郡の海岸に向かってみた。因みに蒲郡の地名は三河湾に面する潟の村であった蒲形村と、宝飯郡の西の端を意味した西之郡村が合併した際に一字ずつ取ったものである。
藤原俊成伝承地「涼みが杜」
(沖縄県浦添市)
島尻方(南山)、中頭方(中山)、国頭方(北山)と、現在の郡と同じ境界区分の中で、それぞれ東シナ海側を通る街道は西海道、太平洋側は東海道と呼ばれる街道が存在した。中頭方西海道は首里から読谷に至る琉球主要街道の一つであった。
サーターヤー(製糖所)跡
浦添間切番所跡
小湾川に架かる安波茶南橋 1597年
アブチ川に架かる安波茶北橋 1597年
南橋と北橋
(あらいじょう 愛知県尾張旭市城山町長池下・新居町寺田 1990年6月6日)
元弘の乱で南朝の将として戦った志段見城主水野良春は、康安元年(1361)この新居の地を開いた。長禄四年(1460)水野宗国のとき、この新居の丘陵に城を築いている。昭和52年(1977)城山公園入口に模擬天守「旭城」を建設したが、往時の新居城とは何ら関係のない施設である。
模擬天守から市街地を望む
尾張旭駅
(関連記事:新居城平成十六年)
(愛知県新城市竹広字信玄原 1999年5月5日)
信玄塚の東方、平成8年に開設された、武田・織田徳川軍が戦った設楽原・長篠の戦いに関する資料を主に展示する資料館である。また、資料館の前には合戦時の馬防柵が再現されている。
(Chiesa di San Barnaba イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア市ドルソドゥーロ)
9世紀に創建したとされるこのカトリック教会は、幾度となく火災に見舞われその都度再建されたという。現在の建物は1779年に建築家ロレンツォ・ボスチェッティによって再建されたものである。1989年には、映画「インディー・ジョーンズ 最後の聖戦」のロケ地として使われた。
サン・バルナバ運河界隈
ルンガ・サン・バルナバ通り
(沖縄県浦添市仲間 市指定史跡)
浦添城南西側の住宅地に囲まれ、1713年編纂の『琉球王国由来記』に「コバシタ嶽」と記載される拝所である。仲間集落発祥の地とされ、信仰を中心に村が形成されたことが分かる。クバサーヌのクバはビロウ(枇榔:ヤシの一種)を意味し、サーヌは木の下を意味するという。かつてはこの場所で集落の女性は出産をしたと伝わる。2013年には発掘調査が行われている。