(奈良県香芝市藤山 2007年4月8日)
平成3年(1991)に竣工し、翌年開館した、RC造3階、延床面積8502m2の市民図書館、二上山博物館、ホールの複合施設である。「ふたかみ」の由来は、施設からも望める二上山(ふたかみ・にじょう)により、頂に大津皇子墓、高松塚古墳の石材産地、楠木正成の城郭、万葉集の題材としても知られる。
(奈良県香芝市下田西 2007年4月8日)
香芝(かしば)の地名由来とされる鹿嶋神社は、承安二年(1172)源義朝臣鎌田政光が常陸鹿嶋神宮より建御雷神(たけみかづちのおおかみ)を勧請したのが始まりとされる。
(福井市中央 2007年4月6日)
弘化二年(1845)福井藩士の家に生まれた日下部太郎は、福井藩として初めて米国へ留学し、ラトガース大学に入学することになった。そこで二歳年上のグリフィスと出会い、親交を深めた。太郎は卒業直前に結核に罹り、二十五歳で没した。グリフィスは翌年、来日して福井藩校明新館で教鞭を執った。
(石川県金沢市近江町 2007年4月6日)
金沢の台所と呼ばれる近江町市場を訪れた。享保年間(1716-35)成立とされ、青果通り、鮮魚通りには専門店が建ち並ぶ。訪れたときはダイエーの跡地解体が行われていた。
(越前東照宮 福井市大手 旧県社 2007年4月6日)
福井城内に鎮座する神社である。寛永五年(1628)福井城の鎮守として日光東照宮から徳川家康を勧請し、東照宮としたのが始まりである。明治6年(1873)福井藩祖松平秀康を祀る佐佳枝廼社(さかえのやしろ)を創建し、翌年東照宮と合祀された。
(お萬榎 東京都渋谷区千駄ヶ谷)
かつてこの地には榎が生え、榎坂と呼ばれた。榎の幹は二股に分かれ、付け根が女陰の形をしていたため、婦人病を持つ者に信仰されていた。ある日四谷の大工がその女陰を加工した。間もなくして大工の妻が婦人病に罹ったため、大工は祠を建て稲荷として祀ったところ、妻の病気は治ったという。その後、榎は枯死し、祠も空襲により焼失したため、現在のような祀られ方となった。
(石川県金沢市 2007年4月5日)
犀川で取水された水は、旧鞍月村を流れる。正保年間(1644-8)に改修した記録が残る鞍月用水は、加賀藩時代には金沢城の外堀として利用された。近代に入ると、その水力を利用して製油、精米、製粉、撚糸、精錬等、金沢の近代化に役立っている。その後、部分的に暗渠化されたが、近年は町並み修景と共に再び流れる姿を現している。
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