(神奈川県平塚市浅間町 旧県社)
社伝によると、仁徳天皇六十八年(380)大地震が起き、人々が苦しむ様を見かねた天皇が応神天皇を祀ったのが始まりという。また、推古天皇による「鎮地大神」の宸筆(しんぴつ)を賜ったという。その後、相模国の一国一社(国府八幡宮)に指定されている。永禄十二年(1569)武田信玄による北条氏康攻めの際、陣所とされたため兵火に遭い全てを焼失したという。慶長年間に至り、徳川家康によって再建された。
(岩手県花巻市材木町 2011年11月4日)
昭和3年(1928)に築造された木造2階建て、総桧造りの庁舎である。昭和45年(1970)新庁舎築造に伴い現在地の材木町公園に移築され、コミュニティー施設「市民の家」として利用されている。また、隣接して花巻電鉄の馬面電車が静態保存されている。
(神奈川県平塚市宮の前)
平塚の市街地にコンクリート造りの不動堂がある。江戸時代初期に醍醐三宝院修験者大光によって不動明王像が彫られ、安置したのが始まりという。平塚空襲により焼失し、昭和44年(1969)現在の堂宇が再建された。
(東北線岩手県 2011年11月3日)
平成4年(1992)にキハ58系が改造されたジョイフルトレインは、郷土の偉人宮沢賢治に因み、「Kenji」と命名された。その車両にラッピングを施し、「いわて・平泉文化遺産号」として盛岡一関間を期間限定で運行されていた。
(横浜市都筑区茅ケ崎中央)
横浜北部新都市第二地区土地区画整理事業により開発された、港北ニュータウン・タウンセンター南地区である。昭和58年(1983)に街開きされ、平成5年(1993)横浜市営地下鉄3号線センター南駅が開業した。
(横浜市西区みなとみらい 国指定重要文化財 2012年2月12日)
明治30年(1897)横浜船渠(1935-三菱重工業)第二号ドックとして築造された。石造のドックでは主に艦船が築造されたが、昭和58年(1983)中区本牧に事業所が移転され、跡地はドックヤードガーデンとして整備された。
(川崎市高津区二子)
かつて二ヶ領用水分水路沿いに大陸天(第六天)神社が鎮座していた。明治時代に神明社に合祀され二子神社と改称された。用水は暗渠となったが、神木の銀杏と昭和45年(1970)に市に買収され街区公園となった面積514m2の大陸天公園の名が往時を偲ばせる。
(東海道 東京都大田区仲六郷)
かつて荏原郡六郷の一つだった雑色(ぞうしき)村は、八幡神社の雑色(神職)に由来する。雑色の地名は明治22年(1889)の合併により消滅したが、明治32年(1901)京浜電気鉄道(1948-京浜急行電鉄)駅開業の駅名に採用された。
(川崎市川崎区砂子 2011年9月24日)
かつては古川という水路があり、その後埋め立てられ、第二次世界大戦後に商店街として整備され始めた。やがて銀座街から市役所通りを挟んで銀柳街、新川通りを挟んで銀映街へと続く商店街となり、前東京オリンピック時にアーケードが設置されている。
(愛知県新城市市川字宮の上 2011年8月15日)
急斜面に鎮座する、かつての八名郡乗本村市川組の鎮守である白鳥神社は、日本武尊、天照大神、伊邪那美命を祀るが、創建時期は不詳である。明治維新時に廃社となったが、明治8年(1875)に複社された。