(東京都文京区弥生 国指定史跡)
明治17年(1884)後に帝大学者となる有坂、白井、坪井の三名によって向ヶ岡貝塚から一つの完形に近い壺形土器が発見され、この地が後に弥生町となったことによって、同時期の土器を弥生式土器と呼称するようになった。
(東京都文京区弥生)
現在の東京大学本郷キャンパス弥生地区は、かつて水戸藩中屋敷(駒込邸)であった。また、向岡の由来は、上野寛永寺領を「忍岡(しのぶがおか)」と呼ぶのに対し、向かいの岡という意味からこの辺りを「向岡(むかいがおか)」と呼んだことによる。文政十一年(1828)二十九歳を迎えた水戸藩主徳川斉昭が歌を詠み、「おふ春に向ふが岡なれば世にたぐひなきはなの影かな」の前段詞書に弥生(三月)を詠んだことにより、後に弥生の地名が生まれたとされ、そしてこの碑が屋敷内に建立された。向岡碑は、平成20年、東京大学130周年記念「知のプロムナード」の学内整備に伴い、それまで雨晒しで痛みが目立っていた碑の破損部分の修復、保存処理を施し、情報基盤センターの屋内通路脇に設置、展示したものである。
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(大阪市浪速区恵比須西 旧郷社)
父が中学時代を過ごしたこの地を八年振りに訪れる。
推古天皇八年(600)四天王寺建立の際に西方の守護神として建てられたとされる。祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)等五柱であり、近世以降は「えびす」として崇敬を集めた。
(高野線今宮戎駅近くの えべっさん)
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(広島市中区基町)
広島藩主であった浅野長勲が、昭和元年(1926)浅野長晟入城三百年を記念して開設された浅野図書館を前身とする。昭和6年(1931)広島市に寄贈され、広島市立浅野図書館となった。諸国古城之図所蔵の浅野文庫が有名である。
蔵書は約100万点であり、10の分館と自動車文庫(はと号)がある。また、隣接して、昭和49年(1974)に開設された広島市映像文化ライブラリーがある。
(東京都文京区本郷 旧国宝 国指定重要文化財)
御守殿(ごしゅでん)とは、江戸時代に三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の娘の敬称及び、居住する奥御殿を指す。故に御守殿に通じる門を御守殿門という。また、門を丹塗りにしたところから、表門の黒門に対して御守殿門は俗に赤門と呼ばれている。この御守殿門は文政十年(1827)に第十二代藩主前田斉泰が第十一代将軍徳川家斉の第二十一女、溶姫を迎える際に造られたものである。
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