(やごと 名古屋市昭和区八事本町)
固い岩盤を意味する「岩(や)が凝(こご)る」を地名由来とする旧愛知郡八事村。江戸時代に名古屋城から飯田に至る飯田街道が整備され、興正寺の門前町として次第に発展していった。
(さんのへ 青森県三戸郡三戸町)
岩手県一戸、二戸を経て青森県三戸に差し掛かる。南部氏三戸城の城下町であり、奥州街道の宿場町であった三戸。この戸は平安時代後期、陸奥国糠部郡が設置された際に郡内九つの地区として分けられて、一戸から九戸まで地名が起こったとされる。戸の語源は諸説あり、牧場の木戸に由来するという説、朝廷からの派遣兵が駐留した拠点「柵戸」(きのへ)に由来するという説がある。熊原川沿いの三戸町内には小麦粉を原料とする「南部(三戸)煎餅」の店が六軒あるが、かつては百四十軒あったという。山背という偏東風により夏の冷たい風によって米が育たず、その代替として作られ食された地域特有の産物である。これを青森のフランスパンと表現される。
(にのへ 奥州街道 岩手県二戸市)
一戸から二戸に差し掛かる。平安時代後期、この地に陸奥国糠部郡が設置され、その際に郡内九つの地区として分けられて、一戸から九戸まで地名が起こったとされる。戸の語源は諸説あり、牧場の木戸に由来するという説、朝廷からの派遣兵が駐留した拠点「柵戸」(きのへ)に由来するという説がある。
(埼玉県所沢市)
文明十八年(1486)京の僧、道興准后がこの地を訪れ、観音寺(現新光寺)でもてなし受けたことを紀行文廻国雑記の中で「野遊のあそびのさかなに山のいもそへて(添えて)ほりもとめたる野老(ところ)沢かな」と詠んでいる。この野老はヤマイモ科の植物で、所沢の由来になったとされる。
(秋田県北秋田市阿仁根子)
阿仁川から支流の根子川を遡る。幅の狭い根子トンネルを潜ると根子(ねっこ)集落に辿り着くが、このトンネルも昭和50年(1975)に開通したもので、それまでは峠越えをしていた。根子川沿い、人口百人余りの根子集落は平安時代末期の平家滅亡後、一族の小池大納言家臣がこの地に隠れ住んだのが始まりという。同じくしてマタギ(狩猟)が起こり、根子は発祥の地の一つとされる。山は、熊が木の実等を食べるために木の枝を手繰り寄せて、それが堆積した熊棚と呼ばれるものがそこかしこにあり、初冬の季には葉の落ちたクロモジ、ツルウメモドキやホップ、葉が広がって枯れたワラビ等が目に入る。