(沖縄県那覇市おもろまち 2008年4月4日)
昭和30年(1955)開館の琉球政府博物館を起源とする沖縄県立博物館は、昭和41年(1966)首里に移転し、沖縄返還後は沖縄県立博物館となった。平成19年(2007)現在地に新たに美術館併設で開館した。今回訪れたときは常設展「海と島に生きる」が開催されており、「シマの自然とくらし」「ニライカナイの彼方から」「海で結ばれた人々」「貝塚のムラから琉球王国へ」「王国の繁栄」「薩摩の琉球支配と王国」「王国の衰亡」「沖縄の近代」「戦後の沖縄」「沖縄の今・そして未来へ」を見学し、初めて訪れた沖縄で琉球文化を学習した。
(沖縄県国頭郡本部町石川 2008年4月3日)
昭和50年(1975)沖縄国際海洋博覧会が行われ、跡地は記念公園となり、その一角に「国営沖縄海洋博覧会水族館」として昭和54年(1979)に開館した。施設の老朽化により平成14年(2002)新館を築造し、「沖縄美ら海水族館」と改称した。運営は財団法人海洋博覧会記念公園管理財団(2008年現在)である。世界最大のアクリルパネルを有する(2008年現在)、水量7,500m3のアクリル水槽「黒潮の海」があり、ジンベエザメ、オニイトマキエイ(マンタ)、マグロ、カツオ等が泳ぐ。
(沖縄県中頭郡北中城村大城 国指定重要文化財 2008年4月3日)
中村家は、中城城主護佐丸盛春が座間味城よりこの地に移った際に、同行した賀氏がその後の護佐丸自害後もこの地に残り、間切(まぎり:村)の庄屋となって続いた家である琉球王国時代には茅葺であったという屋根は、明治時代以降、台風にも耐える漆喰で固められた瓦に変わり、古き良き「沖縄の屋根」を印象付けている。内部は本土の農家とさほど変わらないが、家の役割からか、やや格の高い調度である。また、入口は直接内部が見えないよう顔隠しの塀(ヒンプン)が設けられ、中国文化の名残がみられる。そして、台所(とぅんぐわ)には火の神(ひぬかん)を祀っているが、神社神道の火防の神「秋葉大権現」や、仏教の火盗消除、伽藍守護を担う「韋駄天」(いだてん)と形は違うものの同様の役目を持っているようである。