(愛知県豊川市千歳通 2013年3月31日)
宝飯郡鍛治村大道(豊川市中条町大道)に鎮座した天王社を明治10年(1877)牛久保八幡社の末社として同社境内に遷座。昭和24年(1949)に至り、成定廟横の現在地に遷座となった。八幡社祭礼の際には御旅所となっている。

(佐賀県唐津市南城内 旧県社 2012年9月3日)
唐津城の麓、唐津くんちを祭事とする唐津神社が鎮座する。神功皇后が三韓征伐からの帰途、西ノ浜に鏡を捧げて征伐の神託を与えた住吉神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)を祀ったことに始まると伝わる。天平勝宝七年(755)に至り、地頭の神田宗次が夢告により西ノ浜で鏡を拾い、神功皇后の捧げた鏡と確信し、孝謙天皇に奏聞して唐津大明神の神号を賜ったという。文治二年(1186)宗次の裔広が社殿を造営し、祖神田宗次の神霊を合祀したという。江戸時代は唐津藩の祈願所となった。
(神奈川県逗子市桜山)
葉山に向かう道端に小さな堂宇と金石文が並ぶ。堂宇には元禄九年(1696)の舟形地蔵他一躰と、脇に享保八年(1723)の有縁無縁平等利益文言塔、文化三年(1806)の六十六部供養塔がある。付近にはかつて刑場があったと伝えられている。
(神奈川県逗子市山の根)
横須賀線逗子駅から三線軌条の京急逗子線を経て総合車両製作所に至る線路がある。昭和17年(1942)池子・久木地区に存在した海軍軍需部弾薬庫への輸送目的として敷設された。支線を合わせ14kmからなる専用線であり、金沢八景の第一海軍技術廠支廠まで結ばれていた。終戦後、弾薬庫跡はアメリカ軍に接収され、第一海軍技術廠支廠は東急興業横浜製作所(1948-東急車輌製造・2012-総合車両製作所)となり、専用線は車両輸送の引込線となった。
(神奈川県逗子市逗子)
明治22年(1889)開業の横須賀線の駅である。大船、品鶴線(東海道線支線)方面からの列車の大半は逗子駅止まりであり、一部久里浜駅までの直通と、逗子ー久里浜間の折り返し運転となっている。また、逗子駅から久里浜駅間はホームが11両対応であり、直通列車は逗子駅で切り離し連結作業が行われる。












(北九州高速鉄道 北九州市小倉北区 2012年9月12日)
昭和55年(1980)廃止の西鉄北方線(軌道線)の代替延伸として昭和60年(1985)に開業した、小倉ー企救丘(きくがおか)8.8kmを結ぶ跨座式モノレール線である。当初は建設反対により小倉駅(初代)が400m離れていたが、平成10年(1998)に至って現在のJR小倉駅に乗り入れとなった。
(東京都中央区銀座)
昭和52年(1977)並木通りに面して築造された、RC造8階地下1階の14室からなるテナントビルである。建物の運用には消防法の100を超える違反があり、平成25年(2013)の改善命令後も放置されたが、テナントを全て撤退させることで対処している。隣接する2階建店舗と背後の見番通り側の井上ビルは解体され再開発予定となっているが、この丸源ビルの動向は不明である。
