(横浜市金沢区富岡東)
建久二年(1191)源頼朝が摂津西宮より蛭子尊(ひるこのみこと)を勧請し、鎌倉の鬼門除けとして創建したものという。安貞元年(1227)八幡大神を合祀し、富岡八幡宮となった。応長元年(1311)大津波が起こった際に当地が被害に遭わなかったことから、波除八幡の異名を持つ。寛永四年(1627)江戸深川へ分祀され富岡八幡宮が建立されている。
(天台宗威徳山 茨城県牛久市久野町 2014年4月13日)
嘉禄二年(1226)創建。大永五年(1525)に領主土岐原治頼が同寺の十一面観音の再興を行い、天正五年(1577)には土岐治英が土岐越前守と共に同寺の修復工事を行っている。宝永四年(1707)現存する本堂の改修、仁王門の建造が行われた。
(神奈川県小田原市城内 2014年1月1日)
小田原町当時の昭和8年(1933)に築造された、木造2階建の図書館建物である。昭和29年(1954)小田原市民会館の場所にあった新名女子高等学校(1956-旭丘女子高等学校)の跡地建物に図書館が移転の後、昭和34年(1959)星崎定五郎氏の寄付による星崎記念館(小田原市立図書館)へと移された。図書館移転後は郷土文化館となり、昭和46年(1971)に移転後は市役所分庁舎として利用され、昭和51年(1976)市役所移転と共に分庁舎は統合された。その後は市役所中央連絡所となり、平成6年(1994)本町に移転後は城址公園二の丸観光案内所となった。
(茨城県土浦市有明町 2014年4月13日)
土浦ステーション開発によって昭和58年(1983)に開業された、RC造6階地下1階、延床面積17,340㎡の駅ビルである。当初は周辺の商業施設と共に賑わったが、市街地空洞化により衰退し、平成20年(2008)イオン管理のペルチ土浦となった。然し、その後も更に衰退し、平成24年(2012)イオンは撤退。アトレへと移管された。(現在は宿泊施設が主業態となっている)
(横浜市金沢区富岡)
昭和5年(1930)湘南電気鉄道の臨時駅として湘南富岡駅(1987-京急富岡)が開業。然し空襲により一旦廃業となり、昭和22年(1947)杉田方にGHQ施設関係者利用駅として再開業されたが、昭和30年(1955)元の位置に移転されている。
(茨城県稲敷市江戸崎 2014年4月13日)
小野川は、つくば市小野崎より発し、霞ヶ浦に注ぐ延長36kmの一級河川である。沼里川が合流する地点には江戸崎の川湊があり、平成24年(2012)川に沿って公園が整備された。
(明治村 愛知県犬山市内山 2014年8月7日)
明治10年(1877)東海道線蒲田川崎間の六郷川(多摩川)に架けられた複線鉄橋の一部である。当時の橋の全長は約500mで、本橋(中央部)と避溢橋(両端部)からなり、本橋部に長さ約30mの錬鉄製トラス桁(ポニー・ワーレン型)六連が使われていた。イギリス人土木技師ボイルが設計し、ハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社で製作されたものである。明治45年(1912)東海道線の複々線化に際し、御殿場線の酒匂川鉄橋に転用され、昭和40年(1965)まで使用された。
(明治村 愛知県犬山市内山 2014年8月7日)
明治7年(1874)イギリスで製造された製造番号2421-23、2気筒単式の飽和式タンク機関車である。明治42年(1909)鉄道国有法により 、鉄道院160形165番と改められた。新橋-横浜間等で使用された後、大正7年(1917)尾西鉄道(後の名鉄尾西線)に払い下げられ、同社の12号と改番された。昭和32年(1957)現役を退き廃車扱いとなったが、昭和38年(1963)名鉄ラインパーク(後の日本モンキーパーク)に動態保存され、明治村開村時に移転。鉄道100年を機に動態復元され、村内移動鉄道として二軸客車と共に運行を開始した。稼動しているものとしては、現存最古の機関車である。(全長: 7,696mm全高: 3,683mm全幅: 2,423mm 重量21.34t)
明治42年(1909)天野工場(東京都墨田区)で製造され、青梅鉄道メ4客車として導入された。大正14年(1925)高畠鉄道(山形県)ハ2として譲渡された後、昭和11年(1936)雄勝鉄道(後の羽後交通)ハフ11を経て明治村に譲渡された車両である。ハフ13・14 大正元年(1912)新宮鉄道(後の紀勢線)によって自社製造され、昭和17年(1942)雄勝鉄道を経て、明治村に譲渡された車両である。