(神奈川県小田原市 国指定史跡 日本100名城23番 日本の歴史公園100選85番)
(神奈川県鎌倉市浄明寺 2017年1月10日)
上杉朝宗は室町幕府第二代鎌倉公方の足利氏満、満兼の執事として仕え、犬懸上杉家の祖となった。子の氏憲も執事となり、出家して禅秀と名乗っている。その後、足利持氏が上杉憲基を執事としたことから、朝宗は持氏と対立するようになり、応永二十三年(1416)反乱を起こした。当初は持氏に不満を抱く足利義嗣、満兼も禅秀に味方したが、幕府は持氏支援を多くの武将たちに命じたため、禅秀は追い詰められ、雪ノ下の鶴岡八幡宮別当坊で自害したという。
(神奈川県鎌倉市二階堂 2017年1月10日)
平安時代後期、三浦義宗は杉本寺に城を築き、杉本義宗と名乗った。延元二年/建武四年(1337)北朝を立てた足利尊氏を討伐するため鎌倉入りした南朝方の北畠顕家勢と北朝方の足利義詮(よしあきら)、杉本城主斯波家長はこの城で戦ったが落城し、家長は討死した。
(東京都千代田区神田岩本町)
江戸城外堀(神田川)の浅草見附(台東区浅草橋)から筋違見附(千代田区神田須田町)の間に築かれた土手である。明治6年(1873)に取り壊された。和泉橋は近隣に伊勢津藩藤堂和泉守上屋敷跡があったことに由来し、現存する橋は昭和4年(1929)に築造されたものである。
(ミラノ市立近代美術館 イタリア共和国ロンバルディア州ミラノ県ミラノ市パレストロ通り 2014年10月12日)
ルドヴィーコ・バルビアーノ・ディ・ベルジョイオーゾ伯爵の邸宅として1790年に築造された。設計はレオポルド・ポラック。然しながら、1796年ミラノがフランスの支配下となり、ナポレオンの所有となった。1920年からは近代美術館として利用されて、1955年には現代美術館が分離されている。
(Palazzo Ducale イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア市サンマルコ・カステッロ 世界文化遺産 2014年10月9日)
ドゥカーレ宮殿はヴェネツィア共和国の政庁及び総督邸として建造された。10世紀に火災により焼失し、14世紀、パラッツォ・オ・デ・カノーニカ運河を挟んでカステッロ側の牢獄と、15世紀に入り宮殿そのものが再建された。河口に架かるバリア橋からは、16世紀に架けられた、ため息橋(Ponte dei Sospiri)が見える。ドゥカーレ宮殿の尋問室と牢獄を結んでいるこの橋は白の大理石で覆われており、尋問室で取り調べを受けて独房に入る囚人がこの橋を通るとき、「ヴェネツィアの美しい景色を見られるのもこれが最後だ」とため息をついたということから名付けられたとされる。
(京都市上京区下立売通室町角)
永禄十二年(1569)織田信長が足利義昭のために築いた城である。天正元年(1573)義昭は信長によって追放され、取り壊された。昭和49年(1974)地下鉄烏丸線築造に伴う発掘調査によって、石垣に使用された石仏が百躰以上検出されている。
(東京都港区海岸 国指定名勝)
かつてこの地は江戸幕府老中大久保忠朝の屋敷があり、庭園として楽寿園が存在した。池畔に立つ四本の石柱は、忠朝が北条氏臣松田憲秀邸の門柱を茶室の柱として移設されたものという。その後、下総佐倉藩堀田家、清水徳川家、紀州徳川家の屋敷地となり、明治4年(1871)有栖川宮熾仁(たるひと)親王邸、明治9年(1876)宮内省芝離宮となった。大正13年(1924)昭和天皇成婚記念として東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として開園された。
(岩瀬森館 福島県須賀川市中宿 2012年9月3日)
釈迦堂川を天然の堀に利用し、独立丘陵を郭に利用した四ッ清水城は、文治元年(1185)藤原義政が築いたことに始まる。建久元年(1190)義政の祖先である藤原鎌足を祀る社を城内に創建し、それが現在の鎌足神社であるという。