(東京都港区六本木)
平成15年、六本木ヒルズ周辺を再開発した際に、それまで木造住宅が密集する住宅地であったところに新たに築造された道路である。広尾に抜ける坂上から環状3号線までの弧を描く400mの通りの両脇にはケヤキが植えられ、シーズンにはイルミネーションが輝きを放っている。
(横浜市青葉区奈良町)
建久元年(1190)源頼朝が上洛の際に随行した奈良氏に関係があるとされるこの地。戦時中には陸軍東京兵器補給廠田奈部隊填薬所(弾薬庫)ができ、終戦後米軍に接収され、返還後は跡地を「子どもの国」として開園した。また、横浜線長津田駅から弾薬庫まで軍事路線であったものを、子ども国開園後は旅客線となり、近年通勤路線として改善されて、付近の住宅地化が進んでいる。
(静岡県庵原郡蒲原町 2006年3月30日)
旧東海道沿いに建つ洋風建築は明治時代に建てられ、大正3年(1914)歯科医院を開業するにあたり、町家を洋風に改築したものである。戦前までに両側が増築され現在の形になった。
(静岡県庵原郡蒲原町 国登録有形文化財 2006年3月30日)
旧東海道に面する志田家は、「やま六」の屋号で醤油の醸造、販売を商いをしていた町家で、現存する建物は安政地震の翌年である安政二年(1855)に再建されたものである。現在は東海道町民生活歴史館として利用されている。
(川崎市高津区二子)
大山街道の多摩川渡し場で栄えたかつての花街の一角に鎮座する神社である。武田氏臣であった小山田氏が二子村に移り住み、寛永十八年(1641)天照大御神を勧請したのが始まりという。当初は神明社であったが、明治時代に入り二子神社と改称された。また、岡本太郎の出生地ということもあり、隣接して岡本かの子文学碑「誇り」がある。
(東京都墨田区業平)
スカイツリーに程近い場所に鎮座する榎戸稲荷神社は、慶長年間(1596-1615)旧柳島村榎戸(現在地)にあった常照寺を開基した斉覚法印が宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を勧請したのが始まりと伝わる。
(静岡県庵原郡蒲原町 2006年3月30日)
奈良時代の歌人、山部赤人(やまべのあかひと)を祀るこの神社は、創建は不詳ながら万葉集に「富士山を望む歌」としてこの地で詠まれたとされている。また、「信長公記」に「暫く御馬を立てられ知人に吹き上げの松六本松和歌の宮の子細御尋ねなされ」とあり、甲州征伐の際に織田信長がこの神社に立ち寄ったことが分かる。永禄十二年(1569)武田信玄による駿河侵攻の際、兵火により焼失したが、寛永十一年(1634)に至り再建されている。