駿河台のマロニエ通りから猿楽町へ降りる階段がある。これを男坂といい、大正時代の区画整理によって設けられた比較的新しいものである。西側にある緩やかな坂、女坂に対して名付けられた坂である。
(愛知県幡豆郡幡豆町東幡豆)
三ケ根山の尾根には、第二次世界大戦において、フィリピンで戦死した霊を供養する観音像が立っている。昭和47年(1972)真言宗醍醐派薬王山太山寺の境内に遺族及び戦友らによって、遺品である鉄兜を仏像の材料に含め、高さ約5mの像が開眼された。また、像の傍らには、昭和52年(1977)遠州灘で網に掛かったゼロ戦のプロペラ部分が置かれている。
(愛知県蒲郡市三谷町)
三河三谷駅を降り、ちょうど正午となったため、買い食いをしながら旧平坂街道を歩く。拝殿が新しくなった八劔神社を参拝し、新道と合流。時代を感じさせる町並みを歩きながら、久しぶりに私の出生場所へ向かった。
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私が利用者として最も足を運んだ図書館、いわゆるホームライブラリーである。
平成11年、それまでの旧図書館を市役所及び「桜トンネル」に隣接する場所に移転開館したのが、現在の中央図書館である。蔵書は約36万点であり、一階が開架フロア、二階が閲覧室及び学習室で、昭和47年(1972)開館の旧館時代から併設されているプラネタリウム(現ジオスペース館)がある。そして地下一階は閉架スペースとなっている。 貸出は図書が5点、視聴覚資料が2点までで、利用対象は東三河地域に在住、在勤、在学する者である。また、開館時間は9:30から18:00(金曜日及び夏季平日は~19:00)となっている。
三ケ根山の遊歩道を遮るように建っている建築物である。一階は飲食店で、二階は宿泊施設であったが、今は無残な姿を晒している。通行量疎らな有料道路沿いの立地条件では、沿道に咲く紫陽花の季節以外、結果は目に見えている。そして夜間は無料開放される道路であるため、マイナス的要素が働き、加速度的に損傷が進んでいる。この辺りの状況を表す指標ともいうべき物体である。
(隣接する住宅)
(東京都千代田区神田駿河台 大聖堂:国指定重要文化財)
日本ハリストス正教会の本部である東京復活大聖堂(ニコライ堂)は、明治24年(1891)イギリス人建築家ジョサイア・コンドルによって実施設計され、ロシア人修道司祭聖ニコライによって造営された。然し、大正12年(1923)関東大震災によって損傷し、建築家岡田信一郎が修復を行った。このとき耐震補強が施され、鐘楼も当初より低くされている。更に平成3年から12年にかけて修復が施された。
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