車を運転しない私に対して、○○○(身障者)かと言う者がいた。
私は目に多少の障害を持って、それにより運転しないというのもあるが、必ずしも乗らなくとも生きていけると思っているからである。
そして最大のエコは自動車に乗らないことであるから。
クルマがないと動けないというが、果たしてそうだろうか。
学生時代、電車バス自転車を駆使して通っていたと思う。
渋滞を見てどう思うか、殆ど一人しか乗っていない。見える範囲内を集めると、バス一台に収まってしまう程の人数。それだけ自動車は、はばかっているのである。そして彼等はそのバスを邪魔だといっているのである。
最も、全てを否定するわけではない。事業用車、過疎地の交通手段、お年寄りの介護のため、障碍者の足変わりなど役目はある。
以前、ある人が、仮に目が殆ど見えないとしても、それを隠してでも車を運転しなければ、特に地方では差別対象に値するのだという。
私は人との競争心ががなく、仲間を維持するために悪いことも含めて何事も無理に合わせることがないので、孤立し迫害を受けたこともある。
もう一つの輪っぱに、ショッピングカートがある。
たくさんの買い物とあれば、当然使うものであるが、最初から少量の買い物にカートを引いて狭い店内を周りに気を使わずに人、物に当たりながら押す者。やはり地方ならではの捨てゼリフ、「車輪のあるものが優先でしょ!」というのがあった。買うものが特になくても無意識に押してしまう、楽だからと。
あと、最近増えだしたのが、キャリーカートである。
必要、不必要に関わらず引っ張っている者がいる。混雑したところでは非常に迷惑である。
もはや身体の一部となったこれら車輪製品。
体裁や流行で使用している者たちが、老年期を迎えたとき、衰え、退化の程度はいかばかりなものだろうか。
環境が悪化するまえに、人間が心身共に終焉を迎えそうである。