(浄土宗岩津山信光明寺 愛知県岡崎市岩津町東山 1990年5月13日)
宝徳三年(1451)松平信光が祖父親氏、父泰親の菩提を弔うため創立したものという。文亀三年(1503)今川氏臣北条早雲によって焼き討ちされ、幕末にも火災に遭っているが、文明十年(1478)建立の観音堂(国重文)は難を免れ、今も姿を残している。
現在の県庁所在地宇都宮から東武宇都宮線で栃木を訪れる。かつて県庁所在地であった栃木は、江戸時代には巴波川の舟運、そして例幣使街道の宿場として栄え、往時の建物、風情を残している。
国有形 旧栃木町役場 大正10年
県史跡 県庁堀
(北海道恵庭市南島松・恵み野)
漁川の北側は恵み野である。昭和48年(1973)南島松地区の農地にニュータウン住宅地が計画され、順次造成が開始された人口1万2千人余りの地区が恵み野である。住宅地の東には松園小学校跡地に開設された開拓記念公園があり、富山県人開拓の碑や山口県岩国からの入植者を表した恵庭開拓記念像「拓望」等がある。
(岐阜市柳ヶ瀬地区)
以前は月一回程度訪れていた地ながら約四年振りに訪れる。この四年の間により一層衰退が進んでいた。柳ヶ瀬北地区の再開発トップバッターとして、かつてユニーや近鉄アミコ等が入っていた柳ヶ瀬ビルは、商業面積を減らし居住面積を増やして改築されたものの空きテナントが目立っていた。南地区のファッションビル岐阜センサ(タマコシ岐阜店)のあったレンガ通りはアーケードが取り払われ、虚無感をよりさらけ出す結果となっていた。 レンガ通りと岐阜センサ跡
改築された柳ヶ瀬ビル
長崎屋岐阜店跡(柴田会館ビル)
(関連記事:柳ヶ瀬遺跡)
ミラノ・チェントラーレ駅から都市間特急であるローマ行きIC(インターシティ)に乗り、ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅(ポルタ・プリンチペ)に向かう。乗車の際、私の席にほかの人が座っていた。Q:席を間違えてはいませんか?A:私はこの席だと思うのですが…相手のチケットを見てみると、確かに相手が間違えているようだった。class(等級)と carrozza(号車) を勘違いしているようだ。...相手はアメリカ人女性。「すみません 私が間違えていました ありがとう。ふつう、2carsか2coachですよねぇ」…と、確かに私も最初、2carrozzaって何?と思った。チケットには、イタリア語表記しかないので難しい。ミラノを発車後、郊外に差し掛かるにつれ田園風景が広がる。北イタリアは稲作も盛んなようである。更に南下していくと山あいを走るようになり、幾つもの川が現れる。どの川も水量が多く濁っていたが、その理由がジェノヴァに着いてから分かることになる。当初快調に走っていた列車も次第に遅くなり、約30分遅れでジェノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅に到着した。隣接するプリンチペ広場から名付けられたこの駅は、1860年に建築家 Alessandro Mazzucchetti によって建築されたものである。
コロンブス像のある駅前プリンチペ広場
ジェノヴァ市街へ
(東京都新宿区百人町)
新宿の夜、この地を訪れてみる。戦前は文筆家や音楽家が多く住むまちであったが、戦後はコリア・タウン色が濃くなっていった。現在はアジア全般の飲食店が軒を連ねていて、比較的物価も安い。
(中山道三十五番 長野県木曽郡木祖村)
木曽川源流のこの地は、鳥居峠の難所の西麓の宿である。また、飛騨街道奈川道の分岐点でもあった。
木曽川源流付近
宝典山浄龍寺
防火高塀跡
(関連記事:木祖村鉄道遺産)
(とこなめ 愛知県常滑市 1990年5月11日)
社会教育課にて小出氏と談話した後、民俗資料館において常滑の生産用具や製品を見学し、常滑焼の歴史を身近に感じ取ることができた。民俗資料館は規模が大きくかつ設備が整っており、博物館程度の雰囲気を持っていた。続いて常石神社・神明社・国指定登窯陶栄窯・光明寺・やきもの散歩道・陶磁器会館の順に見学した。至るところに赤煉瓦の製陶工場があり、路面に敷き詰めた土管、石垣や土台の代わりに使われている壷や土管、そして神社の陶製狛犬、散乱する窯道具等、赤い焼物全てが昔の面影を残し、庶民感溢れる「赤色のまち」で、ほかの窯場とは違う独特で強い印象を感じさせた。
常石神社と陶製狛犬(明治22年)
神明社の陶製狛犬
北条地区の町並み
松寿山光明寺薬師堂
陸橋 一木橋 大正10年
(亀ヶ岡城 栃木県宇都宮市)
平安時代後期、藤原宗円によって館が築かれたのが始まりである。宗円はこの地で宇都宮兼綱と名乗り、以後宇都宮氏が二十二代続いたが、国綱のとき、周辺氏族が北条氏に付いたため宇都宮氏は孤立し、豊臣秀吉に付いた。秀吉は小田原征伐の後処理「宇都宮仕置」のため宇都宮城に滞在し、奥州諸氏に対して所領の措置を行っている。宇都宮氏は変わらない処遇で領主を務める筈であったが、慶長二年(1597)突如改易となり、宇都宮の地を追われることになった。後を蒲生秀行が陸奥会津九十二万石から十八万石で減封入城し、城郭の改修を行っている。その後は大河内氏、奥平氏と変わり、本多正純のとき城郭と城下町の拡大を行っている。続いて奥平松平氏、本多氏、奥平氏、阿部氏、戸田氏、深溝松平氏、戸田氏と目まぐるしく変わり廃藩を迎えた。慶応四年(1868)当地で行われた戊辰戦争の際には、城内及び城下町の殆どを焼失したという。現在本丸に建つ富士見櫓、清明台櫓は平成19年に復元されたものである。
(いざりがわ 北海道恵庭市)
1317mの漁岳より発し、恵庭のまちと恵み野の間を流れ、恵庭市漁太で千歳川に合流する全長47kmの一級河川である。「いざり」の語源は、アイヌ語のイチャン(鮭が産卵するところ)が訛ったものとされる。
(愛知県豊橋市花田町)
豊橋駅1~13番ホームの内、9・10番ホームは現在旅客用に使われていない。これは昭和11年(1936)以降、東海道線(新所原―豊橋間)に一部の列車が直通していた国鉄二俣線(掛川―新所原間)用のホームで、昭和62年(1987)二俣線の第三セクター天竜浜名湖線転換時に直通運転が廃止されたため閉鎖された。現在は車両留置線になっている。
(グランドホテル・エ・デ・ミラン イタリア共和国ロンバルディア州ミラノ県ミラノ市アレッサンドロ・マンツォーニ通り)
ドゥオーモやガッレリアに程近い、マンツォーニ通り沿いのホテルが今回、ミラノでの宿である。建物は建築家アンドレア・ピッザーラによって1867年に竣工した、ネオ・バロック様式の5ツ星L(L:Lusso:デラックス:イタリアホテル基準)のホテルである。1943年、第二次世界大戦によって4階が被害を受けたが、終戦後に修復・改装されている。
(愛知県小牧市小木 1990年5月1日踏査 宇都宮神社古墳:県指定史跡)
小牧山から西に進み、かつて名鉄岩倉線小木(こき)駅のあった地区を訪れる。付近には宇都宮神社古墳(前方後円墳・全長59m・高さ6.5m・竪穴式石室・周濠)、浄音寺古墳(推定前方後円墳・高さ7m)、甲屋敷古墳(推定前方後円墳・高さ5m・粘土郭)等からなる古墳時代前期の小木古墳群があり、それぞれを踏査した。 宇都宮神社古墳
浄音寺古墳
甲屋敷古墳