(静岡県島田市本通 2008年3月10日)
おび通りには、平成11年(1999)に設置されたからくり時計があり、文字盤には県指定無形民俗文化財の島田鹿島踊りの衣装を着た人形が描かれ、毎時登場するからくり人形は島田大祭(帯まつり)の大奴が踊り出す。
(愛知県豊橋市石巻町南山 2007年5月22日)
石巻山の山頂近くに凹凸のある石灰岩がある。ダイダラボッチの足跡と呼ばれるもので、対岸の本宮山を跨ぎ、小便をしたら豊川(とよがわ)になったという昔話である。一方、本宮山には対岸の吉祥山を跨いで豊川で顔を洗ったヤマンバの昔話がある。
(愛知県豊橋市石巻町南山 2007年5月22日)
石灰岩の水蝕によって形成された岩穴である。昔、雨乞いのため村人が石巻山に登った際、蛇穴から白蛇が現れ社を建てるように告げた。村人が社を建てると岩の割れ目から水が流れ出したという。
(若葉祭 愛知県豊川市)
牛久保八幡社の祭礼であるこの祭りは、練りの囃子方である「ヤンヨウガミ」の衆が道で寝転び、その様が尾長蛆(おながうじ)に似ていることから、訛って「うなごうじ」と呼ばれるようになったとされる。然し、これに類似した祭礼は笹踊りと称してこの地方には何ヶ所かあり、その起源も鎌倉時代に遡るとされる。江戸時代前期に中神行忠が記した「牛久保密談記」によると、牧野成時(古白)が、四月八日に若宮社に参詣の折、駿河今川氏の使者に会い、「当国馬見塚(豊橋市今橋町)に一城を築くべし」という知らせを受けた。成時は、「身の誉れ何事か是にしかん。殊に当社に参詣の折に、この吉事を聞くことはひとえに神の御恵み」と大いに喜び社前の柏の葉で神酒を献じた。このことから成時は、牧野家代々の菊桐の家紋を三つ柏に改めたという。以来、四月八日には成時の句「きのふ けふ 若葉なりしか杉の森」を神前の若葉に結んで供え、牧野家の武運長久を祈った。これ以後、句にちなんで若葉祭という名称で祭りが行われるようになったという。また、牛久保城主である牧野氏が、ある年の若葉祭で領民を城中に招き酒食を振る舞った。お酒に酔った領民は真っ直ぐに歩けず、帰る途中にごろごろと路上に寝転んだことから、以来、祭りでその光景を表して行われている風習ともいう。
(関連記事:うなごうじ本祭前夜 牛久保の春 宝飯郡第十二大区三小区神社誌 牛久保八幡宮)
(砥鹿神社例大祭 愛知県豊川市一宮町西垣内 2012年5月4日)
私はこの日、休日となったため、自宅から徒歩三分のこの催しに向かった。子どもの頃はそれ程気にならなかった地元の祭りも、近年は何か眼に焼き付けたい思いがしてきたのは何故だろう。
周囲から連写撮影の音が絶え間なく聞こえたが、私はあえて一枚一枚、その瞬間だけを切り取った。ここにある光景は、今日の撮影枚数全部である。
(手に入れると夏病しないという布引)
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