(愛知県豊橋市石巻小野田町北山 2007年3月9日)
文安四年(1447)に創建された臨済宗鶴松山受洞寺の東に赤い鳥居の建つ社殿がある。旧成沢村の村人が勧請した稲荷社であるが、後に祈祷師によって三本の古木のある場所に遷すように告げられ、現在地に遷宮したものという。
(愛知県豊川市正岡町池田 2007年3月8日)
昔、豊川(とよがわ)が氾濫した際、桶に乗った地蔵像がこの地に流れ着き、ここに祀ったことから桶地蔵の名で知られる曹洞宗の寺院である。門前には本宮山一之宮、立山神社、当世浅間神社、白山神社と刻まれた石灯篭がある。
(東京都中央区日本橋箱崎町)
首都高箱崎ジャンクションで知られるこの地は、徳川家康の江戸入封までは隅田川河口の砂州であったが、埋め立てにより日本橋側と陸続きとなった。江戸時代は武家屋敷の他、水運に関する商家が建ち、以降倉庫業等が立ち並んだ。近代以降、日本銀行がこの地で発祥し、高度成長期以降は高速道路やシティエアターミナルが設置された。また、箱崎公園には吉田松陰像があるが、箱崎尋常小学校の生徒が亡くなる前、遺言で像の建立を望んだことによるという。
(三橋村古屋敷 愛知県豊川市三谷原町郷中 2007年3月8日)
鎌倉時代、飯尾因幡入道が築いた城という。後に牧野助五郎が入った。付近は縄文時代晩期からの複合遺跡で、平成元年(1989)の郷中遺跡発掘調査では、13世紀の堀が検出されている。三ツ橋の地名は、明治6年(1873)三橋村、雨谷村、石原村が合併し、三谷原村が誕生するまで存在した宝飯郡の村名である。
(愛知県豊川市 2007年3月3日)
豊川(とよがわ)と本宮山が見えるこの場所は、大和水源地があり、豊川の伏流水が豊川市東部の水道として使われている。また、私が幼い頃、川の中に川や池をつくって遊んだ場所でもある。
(岐阜市蔵前 旧郷社 2007年1月22日)
境川のほとりに、手力雄神社は鎮座する。火祭が有名なこの神社は、現在社殿再建中であり、社務所に神霊が預けられている。同じく天之手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る近隣那加の手力雄神社と間違えられ易いが、訪れてみると印象はかなり違うように感じられる。貞観二年(860)この地に創建したと伝えられ、武将に多く祈願されていたために、度々敵方から戦火を被った。