flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

いもむし

2016-11-30 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(名古屋鉄道3400形電車 1997年4月30日)
 昭和12年(1937)に落成、導入された、吊掛制御駆動の半鋼製電車である。流線型でスカートで覆われた風貌から「いもむし」と呼ばれた。当初2両編成であったが、戦後4両編成化され、昭和42年(1967)には更新工事が行われ、窓枠等の外観が一変した。更に昭和51年(1976)塗色がスカーレットとなり、赤まむしと呼ばれた。昭和63年(1988)廃車が開始されたが、1編成2両だけ動態保存され、平成5年、鉄道友の会によるエバーグリーン賞受賞を機に旧塗色に戻された車両が支線等で走っている。

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乃木坂

2016-11-29 00:00:00 | 街道・宿場町

(東京都港区赤坂)
 かつては幽霊坂と呼ばれていたこの坂は、嘉永二年(1849) 長府(山口県)で藩士の子として生まれ、後に陸軍大将となった乃木希典(のぎまれすけ)がこの坂沿いに住居し、その後、明治天皇の崩御によって後を追い殉死した乃木を悼み、当時の赤坂区議会が乃木坂への呼称改名を議決したのが由来という。また、大正12年(1923)には乃木神社が創建されている。
   

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平成8年度三河国分尼寺跡発掘調査

2016-11-28 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛知県豊川市八幡町忍地 1996年12月15日)
 史跡保存整備事業の一環として、今年度から発掘調査が開始された。調査終了後は往時の姿の一部を再現する予定となっている。
     

(関連記事:忍地 三河国分尼寺跡史跡公園 さんまい山古墓 平成10年度三河国分尼寺跡発掘調査 盆の三河国分尼寺 平成11年度三河国分尼寺跡発掘調査 赤塚山工房跡発掘調査)

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瀬田玉川神社

2016-11-27 00:00:00 | かみのやしろ

(東京都世田谷区瀬田)
 永禄年間(1558-70)瀬田村下屋敷(国分寺崖線下)に大己貴命(おおあなむちのみこと)を祀る御嶽神社を創建したのが始まりという。寛永三年(1626)長崎嘉国によって現在地の崖線上に遷座している。明治41年(1908)村内の小社を合祀し、玉川神社と改称された。
    

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本地大塚古墳

2016-11-26 00:00:00 | いにしえびとの睡

(愛知県瀬戸市西本地町 市指定史跡 1996年11月24日)
 「せとでん」に乗るのは6年振り、瀬戸市入りは13年振りである。尾張旭市の中心地、三郷駅に降り立ち、南に下って行くと矢田川があって、川を渡ると瀬戸市となる。本地大塚古墳はその矢田川左岸に位置する全長32m,帆立貝式の前方後円墳であり、埴輪と周濠を持つ。昭和41年、42年の発掘調査によって6世紀前葉の築造と推定されている。付近はここ20年程で住宅地となった模様であり、古墳の東側は保育園、西側は民家、南北は水田地である。

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由比若宮

2016-11-25 00:00:00 | かみのやしろ

(元鶴岡八幡宮 神奈川県鎌倉市材木座)
 横須賀線沿いの住宅地の中に小さな社殿がある。これは元八幡と呼ばれる神社で、康平六年(1063)源頼義が陸奥多賀城に赴く際、この地に石清水八幡宮(誉田別命(ほんだわけのみこと):応神天皇)を勧請したのが始まりと伝わる。その後、源頼朝によって現在の鶴岡八幡宮に遷座された。

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豊田曽根遺跡

2016-11-24 00:00:00 | いにしえの人びと

(愛知県豊田市森町 1996年11月3日)
 縄文時代中期から鎌倉時代に至る複合遺跡であり、遺跡面積約24,000m2の内、昭和47年(1972)教育委員会によって発掘調査が行われた約3,300m2を、昭和51年(1976)史跡公園化したものである。公園内には、発掘調査で検出された縄文時代中期の竪穴建物跡2軒と、古墳時代後期の溝跡1条、縄文時代の復元家屋があり、また隣接して八柱社古墳がある。

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乱橋

2016-11-23 00:00:00 | 水のほとり

(神奈川県鎌倉市材木座)
 道路脇に低く小さい欄干がある。今は下流側が暗渠になった古川に架かる橋であるが、命名に関して次の伝説がある。元弘三年(1333)稲村ヶ崎を越え鎌倉入りした新田義貞は、防戦する幕府軍(北条氏)がこの橋の辺りで乱れ始めたため、乱橋と呼ばれるようになったという。然し、それ以前の鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』の宝治二年(1248)六月の条に「十八日寅刻 濫橋の辺一許町以南 雪降り其の辺霜の如し」とあり、既に存在していたことが分かる。ただ、乱ではなく濫の字を用いているため、川の氾濫を由来とする名前ではないかと推測ができる。
    

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豊田大橋築造地

2016-11-22 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県豊田市喜多町・千石町 1996年11月3日)
 昭和63年7月29日以来6年振りに豊田市駅から矢作川方向へと歩を進める。以前は駅から離れるほど道幅も狭くなり商店もなくなっていたが、面影がなくなっていた。然し、矢作川の中に建設が足踏みしている構造物が見えた。豊田市駅前から上野町方面へと繋がる都市計画道路が矢作川を渡る部分に架橋される橋である。建築家黒川紀章設計のこの橋は、建設費が通常の倍の約100億円で耐震にも問題があるとされ、接続する道路も未着工のまま、橋自体も中央部のみの状態で佇んでいる。
 

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大本山光明寺

2016-11-21 00:00:00 | ほとけのいおり

(浄土宗天照山蓮華院光明寺 神奈川県鎌倉市材木座)
 建築資材の集積場として栄えた材木座の近くには、鎌倉の平地としては広い境内を持つ寺院光明寺がある。寺伝によると、寛元元年(1243)浄土宗三祖然阿良忠によって鎌倉幕府第四代執権北条経時の帰依を受けてこの光明寺を開基したという。また、徳川家康は光明寺を関東十八檀林(学問所)の筆頭とし、後土御門天皇は弘化四年(1847)勅願寺(国家鎮護・皇室繁栄を祈願する寺)に指定している。
 山門 弘化四年(1847)
 重文 本堂 元禄十一年(1698)
                       

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洲原

2016-11-20 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県刈谷市井ヶ谷町 1996年2月12日)
 かつてこの地には新池と呼ばれる溜め池があり、堰堤の決壊や水漏れで悩まされたため、明暦元年(1655)美濃国武儀郡須原村(岐阜県美濃市須原)から、五穀豊穣の利益のある洲原神社を勧請し、それ以降「洲原池」と呼ばれるようになったという。面積16ha,灌漑面積200ha,貯水量25万m3の洲原池を中心に、昭和44年(1969)洲原公園が整備された。また、翌年には隣接して愛知教育大学が岡崎から移転し、排水により洲原池の水質が悪化した。この洲原池付近は縄文時代の狩猟場である松ヶ崎遺跡であり、更に8世紀後半から10世紀にかけて灰釉陶器が焼成された、77基からなる井ヶ谷古窯跡群が存在する。
    山神社跡(洲原神社境内に移転)

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和賀江嶋

2016-11-19 00:00:00 | 海道・みなと

(神奈川県鎌倉市材木座 国指定史跡)
 由比ヶ浜材木座の沖に細長い島のようなものが見える。貞永元年(1232)勧進僧の往阿弥陀仏の発願によって、鎌倉幕府第三代執権北条泰時らの支援を受けて築造された港湾施設であり、現在は埠頭部分以外干潮時しか姿を現さない。約200mにわたって相模川や酒匂川の河原石を用い石積みが施され、日宋貿易の港として利用された。正平四年・貞和五年(1349)鎌倉極楽寺の管理となり、津料(港使用税)を徴収した。慶長十一年(1606)には江戸城拡張のため、ここから石材の積み出しを行ったが、その後は次第に利用されなくなり、補修されることもなく原形を留めなくなっていった。

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豊川賀茂

2016-11-18 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県豊橋市賀茂町 1995年11月19日)
 完成した賀茂歩道橋から下流の光景。

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披露山

2016-11-17 00:00:00 | 漂い紀行

(ひろやま 神奈川県逗子市新宿・小坪)
 相模湾及び三浦半島を見下ろす標高92mの山地である。鎌倉幕府に献上された品を披露する場所、あるいは幕府の宴が催された場所と伝わる。第二次世界大戦時代には横須賀海軍警備隊第三高角砲大隊所属小坪高角砲台が設けられ、砲台跡が展望台や猿舎に利用されている。昭和33年(1958)には山頂付近が公園整備され、中腹付近は昭和43年(1968)逗子披露山庭園邸宅地として造成された。
                        
 西側に鎮座する諏訪神社
 

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弁天下橋

2016-11-16 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県宝飯郡一宮町金沢字弁天下 1995年9月23日)
 牟呂用水に架かる昭和10年(1935)築造のコンクリート床板橋である。用水に面する傾斜耕作地に行くだけの用途であるため、長さ8.1m,幅は1.2mで、欄干もない。

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