(愛知県新城市内井道北)
豊川弁天橋のたもとに鎮座する神社である。祭神は市杵嶋姫命(イチキシマノヒメノミコト)であるが、神仏習合により弁財天の化身とされ、付近も弁天と呼ばれている。天明三年(1783)に創建されたが、安政二年(1855)に焼失し、翌々年再建されている。
豊川弁天橋のたもとに鎮座する神社である。祭神は市杵嶋姫命(イチキシマノヒメノミコト)であるが、神仏習合により弁財天の化身とされ、付近も弁天と呼ばれている。天明三年(1783)に創建されたが、安政二年(1855)に焼失し、翌々年再建されている。
(駒崎城 佐藤館 宮城県塩竃市旭町)
仙石線の高架下、松巖山東園寺のある丘陵地には、観応年間(北朝1350-51)吉良氏が築城した駒崎城(駒犬城)が存在した。後に留守氏の持城となり佐藤氏が城代を務めたが、元亀三年(1573)留守氏を継いだ伊達政景によって落城した。
(安永五年建立 東園寺の碑:中央)
仙石線の高架下、松巖山東園寺のある丘陵地には、観応年間(北朝1350-51)吉良氏が築城した駒崎城(駒犬城)が存在した。後に留守氏の持城となり佐藤氏が城代を務めたが、元亀三年(1573)留守氏を継いだ伊達政景によって落城した。
(安永五年建立 東園寺の碑:中央)
(東京都港区芝公園)
昭和54年(1979)区政30年記念事業によって開館した、SRC造3階、地下1階、3997㎡の図書館である。蔵書は約20万点(内児童書約3万点)であり、外国人居住者が多いことから洋書を多く揃えている。開館時間は9:00~20:00(休日~17:00)である。
昭和54年(1979)区政30年記念事業によって開館した、SRC造3階、地下1階、3997㎡の図書館である。蔵書は約20万点(内児童書約3万点)であり、外国人居住者が多いことから洋書を多く揃えている。開館時間は9:00~20:00(休日~17:00)である。
(愛知県新城市富沢・井道・日吉)
日吉から豊川を渡る。子どもの頃父とよく通った道程である。この辺りの豊川は、大蛇が棲むという伝説がある。付近は弁天と呼び、右岸の字内井道北に鎮座する厳島神社の神仏習合時代に由来する。
日吉から豊川を渡る。子どもの頃父とよく通った道程である。この辺りの豊川は、大蛇が棲むという伝説がある。付近は弁天と呼び、右岸の字内井道北に鎮座する厳島神社の神仏習合時代に由来する。
(東京都港区芝公園 国指定重要文化財)
増上寺境内に存在した、旧徳川家七代将軍家継霊廟の門であったが、第二次世界大戦で霊廟は焼失し、この二天門だけが残った。享保二年(1717)八代将軍吉宗が造営した、八脚門(柱)であり、多聞天と広目天が配置されている。
増上寺境内に存在した、旧徳川家七代将軍家継霊廟の門であったが、第二次世界大戦で霊廟は焼失し、この二天門だけが残った。享保二年(1717)八代将軍吉宗が造営した、八脚門(柱)であり、多聞天と広目天が配置されている。
(京都市中京区高倉通三条上ル東片町 国指定重要文化財)
明治39年(1906)建築家辰野金吾によって設計された、本館二階建塔屋付、地下一階、建築面積884㎡と、金庫棟、建築面積184㎡の煉瓦造りの建物である。 昭和40年(1965)日銀は河原町二条に移転、昭和42年(1967)からは古代學協會平安博物館となり、昭和63年(1988)からは京都文化博物館別館として利用されている。
この日は「冷泉家~王朝の和歌守展」招待観覧のため、二十年振りに訪れた。
明治39年(1906)建築家辰野金吾によって設計された、本館二階建塔屋付、地下一階、建築面積884㎡と、金庫棟、建築面積184㎡の煉瓦造りの建物である。 昭和40年(1965)日銀は河原町二条に移転、昭和42年(1967)からは古代學協會平安博物館となり、昭和63年(1988)からは京都文化博物館別館として利用されている。
この日は「冷泉家~王朝の和歌守展」招待観覧のため、二十年振りに訪れた。
(金光明山法蓮華院法蓮蜜寺 宮城県塩竃市一森山)
鹽竈神社の東参道沿いに寺院跡がある。鹽竈神社の神宮寺であった法蓮寺は、天台宗の寺院として創建したという説があり、室町時代末期に真言宗として再興したという。別名を一森山最上護国鹽竈寺とも言い、明治の神仏判然令により廃寺となっている。また、元禄二年(1689)五月八日に松尾芭蕉と河合曾良は、この寺の門前で宿をとったと「曾良旅日記」に書かれている。
鹽竈神社の東参道沿いに寺院跡がある。鹽竈神社の神宮寺であった法蓮寺は、天台宗の寺院として創建したという説があり、室町時代末期に真言宗として再興したという。別名を一森山最上護国鹽竈寺とも言い、明治の神仏判然令により廃寺となっている。また、元禄二年(1689)五月八日に松尾芭蕉と河合曾良は、この寺の門前で宿をとったと「曾良旅日記」に書かれている。
(京都市中京区三条通東洞院東入菱屋町 市登録有形文化財 公共建築百選)
明治35年(1902)に建造された、一部鉄骨RC造三階、地下一階、延床面積9700㎡,ネオ・ルネサンス様式の建造物であるが、昭和53年(1978)外観のみを残し、内部を改築する工法(ファサード保存)で残されたものである。昭和24年(1949)からは、中京郵便局となった。
明治35年(1902)に建造された、一部鉄骨RC造三階、地下一階、延床面積9700㎡,ネオ・ルネサンス様式の建造物であるが、昭和53年(1978)外観のみを残し、内部を改築する工法(ファサード保存)で残されたものである。昭和24年(1949)からは、中京郵便局となった。
(愛知県新城市日吉字宮ノ腰 市指定天然記念物)
樹齢八百年と推定される神木の楠が日吉神社社殿横に生えている。二股に分かれいる幹の片方は落雷により朽ちているが、もう片方はしっかりと生きている。 近年、保存のために幹を支える柱が設けられた。
樹齢八百年と推定される神木の楠が日吉神社社殿横に生えている。二股に分かれいる幹の片方は落雷により朽ちているが、もう片方はしっかりと生きている。 近年、保存のために幹を支える柱が設けられた。