flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

武蔵小山

2012-04-30 00:00:07 | 漂い紀行

(東京都品川区)
 かつては山林や耕地であったこの地を、大正12年(1923)目黒蒲田電鉄(現東急電鉄)小山駅の開業によって宅地化されたところである。武蔵小山駅から中原街道まで続くアーケードは東京一とされ、商業が盛んな地でもあるが、林試の森のような往時の自然を思い出させる部分もある。この日私は、この地に宿をとった。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧陸軍第四師団司令部庁舎

2012-04-29 00:00:16 | STRUCTURE-構造物残影-

(大阪市中央区大阪城)
 大阪城本丸跡天守閣前に建つ、昭和6年(1931)に竣工した、RC造3階、地下1階、塔屋付、延床面積7006㎡の軍事施設である。同時期に建てられた再建天守閣より高い建設費用であったという。

 昭和15年(1940)からは陸軍中部軍司令部となり、終戦後は米軍に接収されたが、昭和23年(1948)大阪市警視庁本部及び大阪府警察本部として利用された。昭和35年(1960)からは大阪市立博物館として利用され、平成13年、「大阪歴史博物館」として難波宮跡に移転後は閉鎖されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろ薫風

2012-04-28 02:00:41 | kourei-ki-日記-


 ようやく暖かく、日中は暑くなってきたが、季節の植物も今年は遅れているようで、フジの花もまだ小さかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内子 八日市護国

2012-04-28 00:00:59 | 街道・宿場町

(愛媛県喜多郡内子町 国指定重要伝統的建造物群保存地区)
 本町通りの一つ裏には、往時の面影を今に伝える通りがある。江戸時代、大洲藩の奨励により和紙と木蝋生産が盛んとなり、繁栄した町並みである。
                               

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沼湖

2012-04-27 00:00:43 | 水のほとり

(北海道亀田郡七飯町 大沼国定公園 新日本三景)
 大沼の西側に位置する周囲約16kmの湖沼であり、大沼とは函館線鉄橋がある「狭戸」という最狭部で繋がっている。平均水深が2m強と浅く、船の航行は制限されている。


大沼から函館へ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花井寺

2012-04-26 00:00:15 | ほとけのいおり

(曹洞宗松鷲山龍源院花井寺 愛知県豊川市古宿町 1982年7月22日)
 南東方向の河岸段丘であるこの辺りは、朝日の当たる地形と湧水から小動物が棲息し、私の父がよくヘビを捕まえたところであり、幼い頃から馴染みのある辺りである。
 花井の名の由来は、湧き水の名からや、三河国司大江定基に仕えた花井女からとされている。花井女は晩年尼僧になり、定基を偲んで石地蔵を祀って、この地に庵を結んだ。その後、久安四年(1148)真言宗の寺院として伽藍が建てられ繁栄したが、文安五年(1488)に焼失。大永四年(1524)曹洞宗の寺院として再興している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

POW

2012-04-25 00:00:57 | STRUCTURE-構造物残影-

(パウワース 滋賀県長浜市元浜町)
 昭和45年(1970)地元60商店が共同出資して設立されたRC造5階建塔屋付、商業面積3693㎡の商業施設である。当初は付近に同様の施設がなく集客力があったが、周辺に同様商業施設及び郊外型商業施設ができると次第に衰退し、来店客、入居テナントが減少していった。昭和63年(1988)隣接する西友を入居させるも6年で撤退、その後は閑散とした状態が続いたが、その間、平成8年に「新長浜計画」が引き継ぎ、平成16年、まち家横町(SUCCES:シュッセ)を1階部分に開業させた。そして平成19年、旧組織、パウワースは解散した。現在は1,2階部分を利用し商店及び長浜黒壁・歴史ドラマ50作館となっている。

(関連記事:北国街道長浜宿 長浜城 琵琶湖田村 長浜びわこ大仏 平方 長浜平成二十三年 大通寺平成二十三年

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫ろ豊橋 平成二十四年春

2012-04-24 18:00:46 | ご近所漫ろ歩き

(愛知県豊橋市)
 我があばら家のある地域中心地の豊橋を漫ろ歩いた。然しながら、年々衰退傾向にある。

(テナントが著しく減少した「名豊」と、昨年閉鎖された豊橋グランドホテル)


(かつて長崎屋が入っていた開発ビル(左)と、名豊ビル)


(名豊ビルの場所は、かつて狭間小学校であった)


(金次郎像のある狭間公園は、かつてプールであった)


(私の知る店が少なくなった、水上ビル商店街)


(計画内容が揺らいでいる、豊橋芸術文化交流施設「プラット」)


(三河国一宮砥鹿神社「流鏑馬」が行なわれる時節も近い)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ももぞう」

2012-04-24 03:00:09 | kourei-ki-日記-

…というのは、以前近くで読み聞かせをするというので、私が考えたものだった。

色彩等のアレンジは任せることとして、簡単な話しの流れを絵コンテにして書いたものだ。

   

(クリックすると拡大します)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇土細川藩陣屋

2012-04-24 00:00:53 | 城郭・城下町

(熊本県宇土市新小路町)
 廃藩となった宇土城に代わって、正保三年(1646)細川行孝三万石の宇土藩が再興した。但し、旧宇土城郭は使われず、薩摩街道近くに陣屋が建てられた。細川氏十一代で明治まで続き、現在は所々に残る石塀だけが往時を偲ばせている。また、隣接して、宝暦十三年(1763)細川興文によって藩校温知館が設立されている。
  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中央林間

2012-04-23 00:00:24 | 漂い紀行

(ちゅうおうりんかん 神奈川県大和市中央林間)
 東京都と接するこの地は、かつて鶴間と呼ばれる山林地帯であった。その後、小田急線開通と共に林間都市として開発され、ベッドタウンとして住宅地化が進んだ。
 私がかつて受験で東京を訪れたとき、東急新玉川線の下り方向が「中央林間行」であったため、その地名が気になったことを思い出す。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつもの光景

2012-04-22 20:00:36 | kourei-ki-日記-

 三月から今の勤務地になり、駅からお城を通って職場に向かうのだが、朝早いときはいつもこんな感じだ。桜から新緑に変わった風景を眺め、ケータイカメラで撮影していると

 えさをやるわけでもないのに



 毎朝やってくる



 途中まで付いてきて



 この場所でお別れ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大坂城 平成二十三年

2012-04-22 00:00:30 | 城郭・城下町

(大阪市中央区大阪城)
 旧三の丸石垣から京橋口に向かう。大坂城本丸に向かうのは、10年振りである。
             (重文 一番櫓 寛永五年)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内子

2012-04-21 00:00:12 | 街道・宿場町

(うちこ 愛媛県喜多郡内子町)
 以前、隣接する大洲に訪れた際、次回訪れることを決めた内子のまちである。この日は通りで催しがあり、以前は当たり前であったろう多くの人の姿があった。賑わいの大洲街道の本町を進むと、八日市護国へ差し掛かる。
(旧内子警察署 昭和11年)

(関連記事:旭館 小田川

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡島大沼 駒ヶ岳

2012-04-20 00:00:11 | 水のほとり

(北海道亀田郡七飯町 大沼国定公園 新日本三景)
 道南へは初めて訪れる。函館空港に降り立ち、直接この地に向かった。途中、国道5号線に植えられている赤松並木道を通り、暫く進むとやがて彼方に駒ヶ岳と、大沼、小沼が現れ始める。
      
(噴火により山頂崩壊し、主峰となった駒ヶ岳剣ヶ峰)

 道南は、冷温帯落葉広葉樹林帯の北限であり、本州に近い植生である。

 (横津岳)
  (東宮殿下御展望之地碑)   (顔を出す函館線列車)
         
 大沼国定公園は渡島(おしま)半島の付け根に位置する、標高1131mの活火山、駒ヶ岳と、寛永十七年(1640)その噴火で崩れた土砂によって川が堰止められ、それまで存在した沼を更に拡張する形となった、平均水深約12m,周囲24km,126の島を持つの湖である。大沼の名は、アイヌ語でポロ(大きい)トー(水溜まり)を和訳したもので、駒ヶ岳を背に大きく広がっている。
      (馬ノ背に至る登山道) 
   (鰻塚)     
(「千の風になって」誕生の地モニュメント)

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする