(東京都品川区)
かつては山林や耕地であったこの地を、大正12年(1923)目黒蒲田電鉄(現東急電鉄)小山駅の開業によって宅地化されたところである。武蔵小山駅から中原街道まで続くアーケードは東京一とされ、商業が盛んな地でもあるが、林試の森のような往時の自然を思い出させる部分もある。この日私は、この地に宿をとった。
(大阪市中央区大阪城)
大阪城本丸跡天守閣前に建つ、昭和6年(1931)に竣工した、RC造3階、地下1階、塔屋付、延床面積7006㎡の軍事施設である。同時期に建てられた再建天守閣より高い建設費用であったという。
昭和15年(1940)からは陸軍中部軍司令部となり、終戦後は米軍に接収されたが、昭和23年(1948)大阪市警視庁本部及び大阪府警察本部として利用された。昭和35年(1960)からは大阪市立博物館として利用され、平成13年、「大阪歴史博物館」として難波宮跡に移転後は閉鎖されている。
(曹洞宗松鷲山龍源院花井寺 愛知県豊川市古宿町 1982年7月22日)
南東方向の河岸段丘であるこの辺りは、朝日の当たる地形と湧水から小動物が棲息し、私の父がよくヘビを捕まえたところであり、幼い頃から馴染みのある辺りである。
花井の名の由来は、湧き水の名からや、三河国司大江定基に仕えた花井女からとされている。花井女は晩年尼僧になり、定基を偲んで石地蔵を祀って、この地に庵を結んだ。その後、久安四年(1148)真言宗の寺院として伽藍が建てられ繁栄したが、文安五年(1488)に焼失。大永四年(1524)曹洞宗の寺院として再興している。
(パウワース 滋賀県長浜市元浜町)
昭和45年(1970)地元60商店が共同出資して設立されたRC造5階建塔屋付、商業面積3693㎡の商業施設である。当初は付近に同様の施設がなく集客力があったが、周辺に同様商業施設及び郊外型商業施設ができると次第に衰退し、来店客、入居テナントが減少していった。昭和63年(1988)隣接する西友を入居させるも6年で撤退、その後は閑散とした状態が続いたが、その間、平成8年に「新長浜計画」が引き継ぎ、平成16年、まち家横町(SUCCES:シュッセ)を1階部分に開業させた。そして平成19年、旧組織、パウワースは解散した。現在は1,2階部分を利用し商店及び長浜黒壁・歴史ドラマ50作館となっている。
(関連記事:北国街道長浜宿 長浜城 琵琶湖田村 長浜びわこ大仏 平方 長浜平成二十三年 大通寺平成二十三年)
(愛知県豊橋市)
我があばら家のある地域中心地の豊橋を漫ろ歩いた。然しながら、年々衰退傾向にある。
(テナントが著しく減少した「名豊」と、昨年閉鎖された豊橋グランドホテル)
(かつて長崎屋が入っていた開発ビル(左)と、名豊ビル)
(名豊ビルの場所は、かつて狭間小学校であった)
(金次郎像のある狭間公園は、かつてプールであった)
(私の知る店が少なくなった、水上ビル商店街)
(計画内容が揺らいでいる、豊橋芸術文化交流施設「プラット」)
(三河国一宮砥鹿神社「流鏑馬」が行なわれる時節も近い)
(熊本県宇土市新小路町)
廃藩となった宇土城に代わって、正保三年(1646)細川行孝三万石の宇土藩が再興した。但し、旧宇土城郭は使われず、薩摩街道近くに陣屋が建てられた。細川氏十一代で明治まで続き、現在は所々に残る石塀だけが往時を偲ばせている。また、隣接して、宝暦十三年(1763)細川興文によって藩校温知館が設立されている。
(ちゅうおうりんかん 神奈川県大和市中央林間)
東京都と接するこの地は、かつて鶴間と呼ばれる山林地帯であった。その後、小田急線開通と共に林間都市として開発され、ベッドタウンとして住宅地化が進んだ。
私がかつて受験で東京を訪れたとき、東急新玉川線の下り方向が「中央林間行」であったため、その地名が気になったことを思い出す。
三月から今の勤務地になり、駅からお城を通って職場に向かうのだが、朝早いときはいつもこんな感じだ。桜から新緑に変わった風景を眺め、ケータイカメラで撮影していると
えさをやるわけでもないのに
毎朝やってくる
途中まで付いてきて
この場所でお別れ
(北海道亀田郡七飯町 大沼国定公園 新日本三景)
道南へは初めて訪れる。函館空港に降り立ち、直接この地に向かった。途中、国道5号線に植えられている赤松並木道を通り、暫く進むとやがて彼方に駒ヶ岳と、大沼、小沼が現れ始める。
(噴火により山頂崩壊し、主峰となった駒ヶ岳剣ヶ峰)
道南は、冷温帯落葉広葉樹林帯の北限であり、本州に近い植生である。
(横津岳)
(東宮殿下御展望之地碑) (顔を出す函館線列車)
大沼国定公園は渡島(おしま)半島の付け根に位置する、標高1131mの活火山、駒ヶ岳と、寛永十七年(1640)その噴火で崩れた土砂によって川が堰止められ、それまで存在した沼を更に拡張する形となった、平均水深約12m,周囲24km,126の島を持つの湖である。大沼の名は、アイヌ語でポロ(大きい)トー(水溜まり)を和訳したもので、駒ヶ岳を背に大きく広がっている。
(馬ノ背に至る登山道)
(鰻塚)
(「千の風になって」誕生の地モニュメント)