(静岡県湖西市)
緑の丘を切り開いてできたこのまちは先頃、近隣の政令都市を目指す合併から脱却し、単独の道を選んだ。自動車業界トップの創業者を生んだ土地であり、豊川流域圏でもある故か、越県合併の目論見があるのかもしれない。
国宝重文のある法華宗本興寺に参り、市庁へと向かった。二十年以上前この地を訪れた時、歴史への取り組みが今一つであった記憶がある。今回訪れると、古代を中心とする考古学調査が盛んになっていた。この辺りは陶器の原型である須恵器が多く生産された地であるためだ。然し調査が多いということは開発が盛んということである。
環境国際規格取得都市である筈なのに…。
(関連記事:松見ヶ浦)
幼い自分が、泣いている状態で目覚めた今日の朝。
幼い頃泣き虫だった私は、今振り返ってみても泣いている記憶が多い。
然しそれから経験した様々な出来事により、殆ど涙を見せない私になった。
人から、感受性が無いね と言われることもあるが、心の内は感動に満ちているのである。
素直に生きられないのが大人の世界だ。
幼い頃泣き虫だった私は、今振り返ってみても泣いている記憶が多い。
然しそれから経験した様々な出来事により、殆ど涙を見せない私になった。
人から、感受性が無いね と言われることもあるが、心の内は感動に満ちているのである。
素直に生きられないのが大人の世界だ。
(酒井製C4機関車 B型客車 長野県大町市平)
大正5年(1916)に敷設され始め、最盛期には木曽郡内158kmにも及んだ木材輸送軽便鉄道。次第に道路輸送に取って代わり、昭和50年(1975)迄に全ての路線が廃止された。
そこで使われていたディーゼル機関車と客車が、遠く離れた北アの麓で眠っている。
三河の語源の一つ乙川は、上流では同じ読み方で男川、潜水橋のある付近を菅生川という。
♪五万石でも岡崎さまは ハア ヨイ コノサンサ お城下まで船が着く♪と唄われたこの川も、長い歴史の中で幾度か流れを変えたのであろう、川床から祖先の痕跡を現すことがある。
周りの景色に繁栄衰退があろうと、この流れる力は変わらない。
♪五万石でも岡崎さまは ハア ヨイ コノサンサ お城下まで船が着く♪と唄われたこの川も、長い歴史の中で幾度か流れを変えたのであろう、川床から祖先の痕跡を現すことがある。
周りの景色に繁栄衰退があろうと、この流れる力は変わらない。
美濃焼の窯址巡りをしているとコンクリートの物体が目に入った。
付近の農地の納屋かなにかであったのだろうか。
窯址は、使用されなくなると独特の哀愁を残す。
この構造物も、明るい空によってそれを逸らしているようだった。
(愛知県蒲郡市 2005年5月17日)
三河湾に面した織物の街。宝飯郡の西の端であったため、その昔こう呼ばれた。漫歩けば、そこかしこで聞かれた織機の音。然し今は外国産に押され、国内産が衰退し静かな街となった。私が生まれた場所に程近い島から海を眺めると、目の記憶とは違う匂い、小波の音が脳裏に反応する、そんな気がするのである。
-私が川と歴史が好きになったきっかけ-
小学二年の時に、川の蛇行と橋の名前が好きで
藁半紙にペンで「川と橋の名前」という手製の小冊子を作ったことがある。
最初水の流れに興味を持った。
或る日いつの間にか川辺に来ていた。
偉大なる亡き母の様な川を眺めながら悠々とした水の流れに励まされ、希望を与えてくれた。
低いところ、広いところ その時の状況に合わせて、自然な姿で素直に・・。
その時気がついた、日頃生活するのに、川を渡るためにある橋というものに。
この橋が出来上がるまでに、何のためにこの場所に造られ、どの様な必要性があったか、
造られてから幾度となく天災などで壊され、それが繰り返される度に人々が手を加え、工夫し、改良されて行き実用性が増し、今日の様な必要不可欠の橋がある。
その橋に書かれている造られた時の年月日、河川名、橋名がある。
橋名の由来に、その場所の地名またはその土地の伝説、伝承に拠るものもあった。
興味があったのか好奇心なのか、その意味が知りたくなってきた。
このことが過去の事「歴史」に興味を持っていく礎になったのである。
小学二年の時に、川の蛇行と橋の名前が好きで
藁半紙にペンで「川と橋の名前」という手製の小冊子を作ったことがある。
最初水の流れに興味を持った。
或る日いつの間にか川辺に来ていた。
偉大なる亡き母の様な川を眺めながら悠々とした水の流れに励まされ、希望を与えてくれた。
低いところ、広いところ その時の状況に合わせて、自然な姿で素直に・・。
その時気がついた、日頃生活するのに、川を渡るためにある橋というものに。
この橋が出来上がるまでに、何のためにこの場所に造られ、どの様な必要性があったか、
造られてから幾度となく天災などで壊され、それが繰り返される度に人々が手を加え、工夫し、改良されて行き実用性が増し、今日の様な必要不可欠の橋がある。
その橋に書かれている造られた時の年月日、河川名、橋名がある。
橋名の由来に、その場所の地名またはその土地の伝説、伝承に拠るものもあった。
興味があったのか好奇心なのか、その意味が知りたくなってきた。
このことが過去の事「歴史」に興味を持っていく礎になったのである。
今迄避けるようにしてきたこの地。
それは亡父の影響に因るものである。
駅を降り、辺りの史跡を散策した。
地区の西方に八百屋があった。
この店は私が八歳位の頃、家の隣の食品配送のおじさんと一緒に訪れた際、アイスクリームをご馳走してくれたおばさんがいた店である。然しその人も亡くなり、お嫁さんの代となっていた。
フッと街の案内板を見た。
その中に載るイケガミという地名。それはまさしく未だ知らない実母の家のある地名。
街の端であるこの地に向かってみることにした。
それは亡父の影響に因るものである。
駅を降り、辺りの史跡を散策した。
地区の西方に八百屋があった。
この店は私が八歳位の頃、家の隣の食品配送のおじさんと一緒に訪れた際、アイスクリームをご馳走してくれたおばさんがいた店である。然しその人も亡くなり、お嫁さんの代となっていた。
フッと街の案内板を見た。
その中に載るイケガミという地名。それはまさしく未だ知らない実母の家のある地名。
街の端であるこの地に向かってみることにした。