(京都府木津川市加茂町南大門芋谷)
当尾は、既成仏教の堕落により、新仏教が起こる頃に繁栄した仏の里である。この地にあった阿弥陀寺が廃寺になった後、石仏等を道沿いに集め、人の目に触れるようにしたのが、この大門石仏群であり、多くの石造物をみることができる。
旧阿弥陀寺鎮守春日社
(愛知県安城市西別所町中新田 市指定史跡 1983年)
三河万歳の一つ、別所万歳の統率者であった大行日吉法印は、熱田薬師寺の僧玄海の教えを継ぎ、次世代に伝えた僧である。慶長二年(1597)に没している。
(天台宗定額山元善光寺 長野県飯田市座光寺 1998年4月28日参拝)
推古天皇十年(602)本多善光が、難波の堀江(大阪市)で一光三尊如来を見つけ、この地に持ち帰って自宅の臼の上に安置したところ、臼が光を放ったことから、「坐光寺」を起こしたとされる。舒明天皇九年(637)勅命により如来像を芋井の里(長野市)に遷すことになり、諏訪の地を経て、皇極天皇三年(644)長野へ遷座した。この寺が善光の名をとって善光寺と名付けられたことから、坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになったという。元善光寺は遷座された本尊の代わりに、勅命によって木造の本尊が造られた。
貞享元年建立の六字名号塔
(山口市小郡下郷)
かつて小郡(おごおり)駅と呼ばれた新山口駅に降り立つ。山陽新幹線のぞみ・さくらの一部が停車し、山陽線、山口線、宇部線と、JRバス中国萩方面、防長交通秋芳洞方面等が接続する交通の要衝である。訪れたときは、駅前整備事業に伴う橋上駅化工事が行われており、新幹線口と在来線口に分断されている駅構造を解消すべく、自由通路の基礎工事が行われていた。
新幹線口
山陽線115系改造2両T-14編成濃黄色(いわゆる末期色:まっきいろ)
福知山からやってきた115系改造2両T-12編成広島色
工事中の在来線口
山口線40系
山口線40系標準色+47系広島色
(かがのいしげもち 愛知県知立市宝町刈谷道 市指定史跡 1983年)
宝蔵寺境内には加賀野井弥八郎の墓碑がある。一説では、石田三成から家康暗殺の命をうけた加賀井弥八郎は、池鯉鮒宿で催された宴席で刈谷城主水野忠重を殺害、同席していた堀尾吉晴もにも切りつけたが、その吉晴によって弥八郎は殺害され、この地に葬られたという。
(愛媛県今治市宮下町 旧名神大社 旧県社 1984年6月14日参拝)
父の思い出の地の一つである、姫坂神社を訪れた。父は子どもの頃、この姫坂神社にお参りをし、背後の近見山に登っていた。姫坂神社は当初、泉川畔の姫の宮、或いは町谷の姫坂神社が旧社地とされ、興国年間(1340-6)兵火に遭ったが、永徳元年(1381)河野通能により再建された。
(札幌市豊平区平岸)
札幌の中心地からみて北東に位置するこの地は、豊平川の右岸にあたり、アイヌ語でピラ(崖)・ケシ(突端)に由来する。明治4年(1871)陸奥水沢から入植して開発された地である。
平岸高台公園
地下鉄南北線地上部シェルタースタート地点
豊平川神社