flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

丸の内南口

2024-11-30 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(東京都千代田区丸の内)



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外神田四丁目

2024-11-29 00:00:00 | 街道・宿場町
(東京都千代田区外神田)
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THE YOKOHAMA FRONT

2024-11-28 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(横浜市西区鶴屋町)
 横浜駅きた西口鶴屋地区第一種市街地再開発事業の核施設として築造中のSRC造43階地下2階、延床面積79,333㎡の共同住宅、商業施設である。




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銀座東木挽町

2024-11-27 00:00:00 | 街道・宿場町
(東京都中央区銀座)
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松屋東別館(旧日本酸素本社)

2024-11-26 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(東京都中央区銀座)
 昭和2年(1927)に築造された、SRC造5階地下1階塔屋付、延床面積1,114㎡の社屋である。昭和33年(1958)日本酸素が西新橋に移転し、その後平和相互銀行、大丸興業東京支店として利用され、平成元年(1989)から松屋事務所として使用された。(2023年解体)
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山村ビル

2024-11-25 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(東京都中央区京橋)
 終戦間もない頃に築造された、鉄骨モルタル造2階建、切妻屋根の建物である。竣工当時は周辺も同様な建物が林立していたが、現在はこの建物だけが低層建築として残っている。



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溝口北公園

2024-11-24 00:00:00 | ふるさとの木々
(川崎市高津区溝口)
 昭和44年(1969)に溝口北児童交通公園として開設された、面積1,657㎡の街区公園である。





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下作延身代り公園

2024-11-23 00:00:00 | ふるさとの木々
(川崎市高津区下作延)
 昭和61年(1986)に開設された街区公園である。名称は近くの身代り不動尊大明王院に由来する。





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平瀬川と石橋供養塔

2024-11-22 00:00:00 | 水のほとり
(川崎市高津区作延)
 現在多摩川に注いでいる平瀬川は、昭和20年(1945)まで溝口を経由して二ヶ領用水に合流していた。現在とは違い流路が小さく、大雨の際に氾濫を繰り返していた。江戸時代前期、地頭戸田清信が流出した橋の架け替えの際に水害で亡くなった住民の供養のため石橋供養塔を造立したものという。





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上作延庚申塔・馬頭観音

2024-11-21 00:00:00 | 石のまもり
(川崎市高津区上作延)
 右側は馬頭観音で、村内他力 願主 藤蔵と記銘。左側は青面金剛二鶏三猿邪鬼庚申塔で、ショケラ(三尸虫:さんしのむし)を持ち、庚申講中十人 文政七甲申年(1824)八月吉日と記銘あり。
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聖社

2024-11-20 00:00:00 | かみのやしろ
(川崎市高津区向ケ丘)
 ある修行僧が諸国行脚の際、祠のあるこの地で百日咳に苦しみ亡くなったという。また一説には、この地で穴を掘りその中で鉦を叩き、念仏を唱え修行をしていたが、「この鉦の音が止んだら死んだと思ってくれ」と言い残し入定したともいう。その跡に松が植えられ聖松と呼ばれたが、明治20年頃落雷に遭い現在の姿になった。近郷の人々は、子供が百日咳にかかると素縄を左に編み聖松に縛り願を掛け、病が治ると右縄を編み幹に縛り直して願解きをしたいという。平成12年(2000)祠が社殿に改築されている。
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新二子橋から令和四年

2024-11-19 00:00:00 | 水のほとり
(東京都世田谷区玉川町・川崎市高津区二子)

















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上杉朝宗・氏憲邸跡

2024-11-18 00:00:00 | 城郭・城下町
(神奈川県鎌倉市浄明寺 2017年1月10日)
 上杉朝宗は室町幕府第二代鎌倉公方の足利氏満、満兼の執事として仕え、犬懸上杉家の祖となった。子の氏憲も執事となり、出家して禅秀と名乗っている。その後、足利持氏が上杉憲基を執事としたことから、朝宗は持氏と対立するようになり、応永二十三年(1416)反乱を起こした。当初は持氏に不満を抱く足利義嗣、満兼も禅秀に味方したが、幕府は持氏支援を多くの武将たちに命じたため、禅秀は追い詰められ、雪ノ下の鶴岡八幡宮別当坊で自害したという。
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秋津

2024-11-17 00:00:00 | 街道・宿場町
(東京都東村山市秋津町)
 近代以前から府中街道、所沢街道、志木街道の交通要衝であったが、大正6年(1917)武蔵野鉄道(1922-西武鉄道)秋津駅が開業し、昭和48年(1973)武蔵野線新秋津駅が開業して鉄道の要衝ともなった。地名は地区を流れる柳瀬川の湿地を意味する渥土(あくつ)からとされるが、弘仁九年(818)文室秋津(ふんやのあきつ)が武蔵介(武蔵国司)として赴任したことによるともいう。









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杉本城

2024-11-16 00:00:00 | 城郭・城下町
(神奈川県鎌倉市二階堂 2017年1月10日)
 平安時代後期、三浦義宗は杉本寺に城を築き、杉本義宗と名乗った。延元二年/建武四年(1337)北朝を立てた足利尊氏を討伐するため鎌倉入りした南朝方の北畠顕家勢と北朝方の足利義詮(よしあきら)、杉本城主斯波家長はこの城で戦ったが落城し、家長は討死した。








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