(紀寺 奈良県高市郡明日香村小山字キデラ 県指定史跡)
昭和48年(1973)から行われた発掘調査によって、造営時期は7世紀中葉(天智天皇年間)と推定されるが、藤原京左京八条二坊の全域を占めるように整備された形跡があることから、寺の造営段階で藤原京の造営が始まったものと推定される。伽藍配置は、南から南大門、中門、金堂、講堂が直線上に並び、中門と講堂が回廊で繋がり、南東部に塔が存在した。使用された瓦には雷文縁軒丸瓦と重孤文軒平瓦があり、「紀寺式」と呼ばれる。廃寺時期は不明であるが、キデラは城寺であり、奈良市西紀寺町の�茂城寺が、平城京遷都と共に飛鳥から移ったという説がある。
藤原京朱雀日高山
(イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア市ドルソドゥーロ 世界文化遺産)
ジュデッカ運河は、ヴェネツィア本島とジュデッカ島の間にある運河(ラグーナ・ヴェーネタの海流)である。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ
ジュデッカ地区を望む
(岡山県井原市七日市町・井原町)
神辺から井原線で七日市のまちを訪れる。山陽道(中国街道・西国街道)の二十一番目の宿場として栄え、広島県境のこのまちはかつて福山藩領であったため、岡山県ながら福山市との繋がりが深い。往時の風情を随所に残すが、安政三年(1863)に大火があったため、それ以前の建物はない。
小田川
(中山道三十七番 長野県木曽郡木曽町福島)
赤沢から福島に舞い戻る。赤沢に向かう前、観光案内所の方々が今夜の宿を決めるために寄ってくださいとのことだったので、再び立ち寄った。交通費も去ることながら、宿泊費も安くあげられるよう提案してくださった。何軒も連絡してくださり、今夜の宿が確定した。辺りは外国人来訪者が非常に多く、宿では9割が外国人であった。木曽福島は御嶽山の噴火時、報道関係者の宿泊拠点になっていたが、今はその後の様子を見に、できるだけ近くまで訪れる観光客が多いとのことであった。私は未だ不明者がいる状態でむやみに近づくことに疑問を持っているため、遠くから手を合わせるだけであった。
サルが姿を現した
宿から見えた御嶽山
福島を離れる夜は豆腐料理づくし
(関連記事:木曽福島平成十三年・十六年)
(兵庫県相生市 2005年4月8日)
十七年振りの倉敷から山陽線に乗り、相生で下車してみる。市制施行までは相生と書き「おお」と呼ばれた「あいおい」は、相模生まれの海老名氏がこの地で城を構え、「模」を抜いて相生という地名にしたとされる。
(わたらせ渓谷鐵道 群馬県桐生市・みどり市・栃木県日光市 国登録有形文化財)
鉄道本社のある大間々駅から渡良瀬川沿いに走る、わたらせ渓谷線に乗車する。明治44年(1911)足尾銅山の鉱石輸送を目的に、足尾鉄道として先ず、両毛線桐生―大間々町間7.3kmが開業したのが始まりである。大正3年(1914)桐生―足尾本山間46kmが全通、間もなく国有化された。昭和48年(1973)足尾銅山は閉山し、路線の需要は大きく減少、平成元年、第三セクターに転換された。 国有形 大間々駅
国有形 上神梅駅
渡良瀬川
わ89-311「たかつど」水沼駅
WKT-511 神戸駅
レストランになっている旧東武1720系1724,1725
わ89-312「あかがねⅡ」
国有形 通洞駅
国登録有形文化財の足尾駅と構内施設
キハ35-70,30-35,タキ35811留置車両 国有形 第一松木川橋梁(プレートガーダー3連 56m)
旅客終点間藤駅
貨物線廃線区間 間藤足尾本山間 第二松木川橋梁方向
(奈良県高市郡明日香村小山)
橿原市に接するこの地は、飛鳥浄御原に宮が存在した天武天皇の頃、奈良大安寺の前身である大官大寺が存在した。戦国時代には越智氏臣小山氏の小山城が存在し、民家の立ち並ぶ範囲は往時の城内である。 大官大寺跡
(あんぼう 鹿児島県熊毛郡屋久島町安房)
旧屋久町の中心地であった安房は、縄文杉登山口に近いため、宿や飲食店が比較的多く点在している。かつては安房森林軌道で搬出された木材を出荷する港まちとして栄えた。 安房橋
安房川
宿泊した宿
安房海岸の段丘
安房の町並み
(Dorsoduro イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア市ドルソドゥーロ 世界文化遺産)
カナル・グランデとジュデッカ運河に挟まれた文教地区である。ドルソは背中、ドゥーロは固いを意味する。サンマルコ側からの入口は、二代目アッカデーミア橋からであり、橋の傍にはアッカデーミア美術館がある。カナル・グランデの河口には税関跡のドガーナ・ ディ・マーレがあって、ジュデッカ運河を挟んで対岸には、ジュデッカ地区の建物が眺められる。 ドガーナ・ディ・マーレ
カナル・グランデ
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂 17世紀
サン・トロヴァーソ ゴンドラ造船所 17世紀創業
サン・トロヴァーソ運河界隈
オグニッサンティ運河
対岸のジュデッカを望む
サンタ・マリア・デッラ教会 15世紀
ポンテ・ストルト通り
ソトポルテゴ・ピストル
ピシーナ・サンタニェーゼ
サン・トロヴァーソ運河に架かるマラヴェージェ橋
ファンダメンタ・トレッタ界隈
ルンガ・サン・バルナバ通り
サン・バルナバ教会
サン・バルナバ運河界隈
フォスカリ通り界隈
ヴェネツィア大学のベンチ
トレンティニ運河
(広島県福山市神辺町下御領)
国道313号線沿いにビートルの刺さった家がある。刺さった車は老朽化しており、最近取り付けられたものではないことが分かる。現在は単なる住宅であるが、以前は喫茶「ビートル」として営業され、刺さった車は看板代わりだったようである。
(木曽森林鉄道小川線 長野県木曽郡上松町)
ボールドウィン社製蒸気機関車
鳥屋尾橋梁跡
焼笹貯木場
上松停車場跡
赤沢自然休養林の中に、トロッコが走っている。これは、かつてこの地で繁栄した小川森林鉄道赤沢線の一部(赤沢―丸山渡1.1km)を昭和62年に復元したものである。また、あわせて森林鉄道記念館も開館している。木曽森林鉄道は、林野庁長野営林局管内の国有林から木材を搬出するために敷設された鉄道であり、最盛期には管内10営林署、57線428kmに及んだ。上松小川沿いに走る小川線は最も古く、大正5年(1916)に本線:上松ー鬼渕―牛ヶ渕10.4km, 南股線:牛ヶ渕―赤沢5.2km, 北股線:牛ヶ渕―黒沢3.9kmが完成したのが始まりである。昭和24年(1949)には黒沢線:黒沢―白川5.4km, 昭和27年(1952)小中尾線:北股線五軒小屋―中ノ沢6.4km, 昭和30年(1955)下柿沢線:南股線―下柿沢3.9km, 昭和32年(1957)赤沢線2.8km, 昭和36年(1961)には丸山沢線2.1kmが完成した。然し、林道整備等により自動車輸送に転換され始め、昭和38年(1963)の黒沢・北股線の一部廃止を皮切りに、昭和44年(1969)の小中尾線の最後に小川森林鉄道線は全廃された。
酒井工作所製C4型・F4型ディーゼル機関車
特製C型展望客車
旧赤沢停車場から東側高所に移転した森林記念館停車場
(関連記事:上松宿 寝覚の床と臨川寺)
(滋賀県神崎郡能登川町 2005年2月5日)
近江商人発祥の地の一つとされる能登川を訪れた。能登川の由来は、能登国人の移住地であったのではないかという説や、アイヌ語のノット(岬)からという説もあるが、ノットは能登半島そのものに対する説であり、能登からの移住者説が妥当であろう。この後は、同じく近江商人発祥の地とされる五個荘へ向かった。