(神奈川県海老名市国分南 県指定天然記念物)
国分寺の西側にある樹齢三百年のケヤキである。今は西方を流れる相模川が、かつてはこのケヤキのある相模野台地真下を流れ、そこに打たれた舟繋ぎ用の杭が根付いたのがこのケヤキとされる。
(奈良市登大路町 世界文化遺産 国宝 国指定重要文化財)
興福寺に訪れるのは21年振りである。このときは、阿修羅像を観覧する人たちで混雑していた。
(国宝 五重塔 応永三十三年)
(国宝 東金堂 応永二十二年) (再建中の中金堂)
(関連記事:興福寺平成二年)
(岐阜県各務原市鵜沼三ッ池町 県指定史跡)
かがみ野の考古史跡に訪れるのは久し振りである。昭和41年(1966)土地改良工事中に見つかった土器(加曾利E式土器:土器の時代編年指標)等から、縄文時代中期後半から晩期にかけての遺跡であることが分かっている。
遺跡公園内には、桜井家住宅が移築されている。
(浄土宗成道山松安院大樹寺 愛知県岡崎市鴨田町広元 国指定重要文化財 1982年6月)
松平・徳川家の菩提寺である大樹寺には、塔の心柱の紀年銘に、天文四年(1535)と書かれている多宝塔がある。
(関連記事:松平八代の墓)
(滋賀県大津市)
標高610mの比叡山横川より発し、琵琶湖に注ぐ全長4.8kmの一級河川である。
大宮川には、日吉大社に至る花崗岩製の日吉三橋(大宮橋・走井橋・二宮橋)が架かっている。当初は木橋として架橋され、天正年間(1573-92)豊臣秀吉が寄進したという。寛文九年(1669)現在残る石橋に架け替えられている。
(昭和47年 台風20号によって破損した、日吉大社西側の橋殿橋)
(重文 二宮橋)(重文 走井橋)
(重文 大宮橋)
(奈良市登大路町猿沢)
背後に建つ興福寺で行われる行事、放生会(ほうじょうえ:捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式)の放生池として、天平二十一年(749)に造られた池である。この猿沢池には七不思議があって、一、澄まず 二、濁らず 三、出ず 四、入らず 五、蛙はわかず 六、藻は生えず 七、魚が七分に水三分という伝説がある。
(愛知県岡崎市鴨田町広元 1982年6月)
元和元年(1615)徳川家康は、先祖である松平八代(親氏、泰親、信光、親忠、長親、信忠、清康、広忠)を成道山松安院大樹寺に建立した。昭和44年(1969)には岡崎市民が家康の遺品を納めて、顕彰碑(左側)が建立されている。
(関連記事:大樹寺多宝塔)
(山王権現 滋賀県大津市坂本 旧官幣大社 名神大社)
全国の日吉、日枝、山王神社の総本宮である日吉大社は、『古事記』に見える「大山咋神(おおやまくいのかみ)、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山(比叡山)に坐し」が最初である。その後、近江京遷都の翌年である天智天皇七年(668)大津京鎮護のため大神神社から大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請し合祀した。その後、平安京遷都により、京の鬼門に当たることから、災難除けの社として崇敬されるようになった。そして、最澄が比叡山上に延暦寺を建立した際、比叡山の地主神であるこの社を、延暦寺の守護神として崇敬した。然し、元亀二年(1571)織田信長による比叡山焼き討ちにより焼失している。その後、豊臣秀吉によって再建され、現在に至っている。
(神仏習合の名残 山王鳥居) (山王霊石 祇園石)(西本宮) (重文 宇佐宮 慶長三年) (重文 白山宮 慶長三年) (重文 山王神輿)(東本宮楼門) (国宝 東本宮本殿 文禄五年) (重文 樹下宮 慶長三年) (猿の霊石) (大政所(山王祭宵宮場))
(関連記事:日吉東照宮 大宮川 流護因社 門前坂本)