





(山口県萩市堀内 2013年6月20日)
元治元年(1864)萩藩士田中信祐の三男として生まれる。第26代内閣総理大臣、陸軍大将を務め、昭和4年(1929)に没し、昭和6年(1931)銅像が建立された。(金属供出により昭和38年再建)
(山口県萩市南古萩町 2013年6月20日)
天保十年(1839)萩藩士高杉小忠太の長男として生まれる。安政四年(1857)松下村塾の塾生となり、翌年に江戸へ遊学、その後は尊皇攘夷志士として奇兵隊を創設し、倒幕運動に奔走したが、慶応三年(1867)二十七歳で死去した。
(山口県萩市呉服町 国指定史跡 2013年6月20日)
小五郎孝允(たかよし)は天保四年(1833)萩藩医和田昌景の長男としてこの地で生まれ、七歳のとき藩士桂孝古の養子となったが、翌年桂家の養母が亡くなったため生家に戻っている。嘉永二年(1849)吉田松陰の門弟となり、嘉永五年(1852)江戸に留学した。その後は練兵館塾頭となり、尊皇攘夷派の指導者、薩長同盟の締結等を行った。慶応元年(1865)藩主より木戸姓を賜り、明治10年(1877)に四十五歳で没している。
(UFO STATION HAGI 山口県萩市東田町東区 2013年6月20日)
萩、田町商店街アーケード入口に建つ、RC造6階地下1階塔屋付、延床面積970㎡の商業ビルである。昭和54年(1979)竣工時、周辺との比較から、高さ、色、名前において異彩を放ち、賛否両論が巻き起こったとされるこのビルも、その後メンテナンスされることなく老朽化し、テナントもなくなったことから、間もなく解体されることになっている。