(岐阜県高山市 2004年9月1日)
今回は郡上ルートからの高山入りをした。この日は曇り空、やや蒸し暑いものの、過ごしやすい日であった。そして、先回訪れなかった高山陣屋へ。ここでは幕末までの177年間、政務が行われた。最も古い慶長年間建造の御蔵をはじめ、御門、門番所、御役所等が国指定文化財となっている。
この地方の山の恵み、当時の財政力というものが感じられた。
昼食に高山ラーメンを食し、これまた初めての屋台會館へ。
そして、眠り猫の桜山日光館、獅子会館にも訪れた。ここでは、からくり人形の実演を観覧した。
今回は江名子川付近も漫ろ歩き、ご当地の味にも存分に触れ、飛騨の小京都をじっくりと味わった。
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(小京都関連記事:信濃松代 筑摩松本 伊那飯田 加賀金沢 飛騨古川 郡上八幡 尾張犬山 三河西尾 伊賀上野 近江長浜 近江八幡)
この日は今年最も暑く感じた日であった。
私の異常に汗染みしたシャツに、周りの人の目線を感じるほどであった…。
そんな中、涼しげな眠り姿を見て、私も家路を急いだ。
飛鳥時代まで、愛知県東三河地方は穂國と呼ばれていた。
白鳳時代に入って、国郡里設置により三河國穂評となり、大宝律令施行後の和銅六年(715)五月、国郡に二字の好字を用いるという詔(みことのり)によって寶飫(ホオ)郡と改められた。
その後、飫の字を飯と誤り、寶飯郡と書き読まれる様になったといわれている。
この地方が穂國という一地方の中心地域であったため、郡域が大変広大であった。
そのため、周辺の郡の規模に近づけることとなり、平安時代の記録「民部省 延喜式 頭注」によると、延喜三年(903)八月十三日、「割寶飯郡、置設楽郡」という記述が見える。
そのとき、雀部(ささべ)郷(宝飯郡一宮町)と賀茂郷稲置(いなぎ)里(新城市稲木・川田)の間に流れている川を郡境と定め、境川と呼ぶ様になったのである。
※境川データ…(1)二次河川
(2)合流先…豊川
(3)河川種別…砂防・普通河川(上流3,500m)一級河川(下流450m)
(4)水源所在地…新城市川田字本宮道
(5)河口所在地…左岸:新城市川田字八幡前/右岸:一宮町東上字上河原
(6)流路延長…3,950m
(関連記事:垢離取 さるおと)
(HP版:http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/libberfile/sakaigawa.htm )
(豊橋市小鷹野浄水場ポンプ場)
豊川下条水源地で取水された伏流水を、約4km離れた小鷹野浄水場にて濾過、豊橋市豊川流域地域に通水している。
ポンプ場は、1929年3月竣工、鉄筋コンクリート造地上1階、地下2階、豊橋市上水道最初のポンプ場である。
1972年に改修が行われ、現在に至っている。
(HP版: http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/odakano-filtration-plant-pump-place.htm )
今日をもって一周年を迎えた。
前身はHP版「考歴雑記-れきしへの足あと-」
私は何かと流行には躊躇するほうであり、世間にブログが浸透しても暫く乗り切れないでいた。
が、手持ちの私日記と共有でき、画像も保存できる、出向いた地方の人との情報交換もできるということで使い始めることにした。
あれから何人かの人と出会い、続ける励みにもなった。
今後も様々なジャンルを投稿し、続けていきたいと思っています。
どうぞ宜しくお願い致します。
(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺)
法隆寺から先年各メディアで話題になった藤ノ木古墳にも訪れてみる。
古墳時代後期に築造された、直径50m、高さ9mの円墳である。
発掘から十五年以上経っているにも関わらず、こちらは未だ整備途中といった感じで殺風景であった。
5回の発掘調査によって検出されたものに、刳抜(くりぬき)式の家形石棺や、副葬品としては土師器、須恵器、武具類、鏡類、玉類、そして金銅鞍金具が出土した。この鞍金具は動物の透かし彫りを施した、舶載品と考えられており、これら出土品は重要文化財及び国宝に指定されている。
我が両親と違って、私はどちらかというと書道芸術は未知のエリア。
「枠」の中でバランスを考え表現をするという点では絵画と共通なものだが、漢字圏特有の芸術であるため、書の意味以外の視点で作品群を観覧することにした。
訪れたときにはちょうど、併展されている「漢代、開通褒斜道刻石の新旧拓本」の解説会が行われた。
(聖徳宗総本山 奈良県生駒郡斑鳩町山内 世界文化遺産 国宝 重要文化財 2003年8月19日)
法隆寺駅に降り立つ。盆地で暑い斑鳩(いかるが)の町を歩く。そして、現存最古の木造建築といわれる法隆寺に到着した。
持統天皇の頃に建てられた西院伽藍(金堂・五重塔・中門・回廊)が最も古いという。実は私自身、この地を訪れたことがなかった。境内を見てみると、敷地が広いこともあるが、整然としており、整備が行き届いている。世界遺産登録によるものか、付近は景観制限があるのであろう、コンビニやファミレスにいたるまで瓦屋根であった。
法隆寺は、推古天皇十五年(607)創建と伝えられ、太子創建七ヶ寺(法起寺、中宮寺、葛城寺、橘寺、四天王寺、広隆寺、法隆寺)の一つである。
続いて藤ノ木古墳へと向かう。
(関連記事:薬師寺元興寺 菩薩池)
(東京都港区台場)
浅草から銀座に向かい、銀ブラ(古語)をした後、新橋からやや衰退気味の「ゆりかもめ」に乗り、レインボーブリッジを渡って、幕府砲台のあった台場へ到着。“お約束”の強風吹き荒ぶ台場電視台に訪れ、有明方面にも向かってみた。人はいるのだが、何かしら虚無感に苛まれる。やはり人が住めるところではないからであろう。青海のショッピングモールに寄り、最後は夜のお台場海浜公園へと向かった。
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