(名古屋市西区則武新町 近代化産業遺産 2007年10月5日)
明治37年(1904)森村市左衛門が設立した、当時の森村組グループ(伊奈製陶、大倉陶園、東陶機器、日本碍子、日本特殊陶業等)の一つとして設立された陶磁器工場である。「ノリタケ」のブランドは、地名の旧愛知郡則武村に由来し、昭和50年(1975)まで稼動した。平成12年(2001)複合施設「ノリタケの森」として開放されている。
(神奈川県中郡大磯町大磯)
小淘綾(こゆるぎ)の浜とも呼ばれる照ヶ崎海岸は、漁師が蛸を引き揚げたところ、光輝く千手観音に姿を変えたことから、照ヶ崎と名付けられたと伝わる。またアオバトの飛来地であり、明治18年(1885)日本で初めて海水浴場が設置された海岸とされる。
(神奈川県中郡大磯町)
東海道八番目の宿である大磯は、寛文四年(1664)小田原に住む僧侶で俳人であった祟雪(そうせつ)が、西行の詠んだ「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」に因み、鴫立沢と刻んだ碑と鴫立庵を造立すると共に、自身の出身地である中国湖南省の湘南地方に景色が似ていたことから、碑の裏面に「著盡湘南清絶地」の文字を刻んだという。故に湘南発祥の地と呼ばれる。その鴫立沢のほとりある鴫立庵は日本俳諧三大道場と称される。
(岐阜県海津市海津町高須町 2007年9月13日)
文政十二年(1829)高須藩主松平義建(よしたつ)により浄土真宗大谷派桑名別院の掛所(別院)として創建され、明治11年(1878)高須別院となった。その後、濃尾地震や木曽三川洪水、伊勢湾台風で被害を受けたが、洪水時は助命檀(避難民)として機能したという。
(東京都千代田区五番町・九段南)
寛永年間(1624-43)江戸城外堀築造後、市ヶ谷御門へ通じる切通しの坂として開削されたのが始まりという。その後、番町皿屋敷の伝説で知られる菊が、髪を振り乱し、帯を引きずりながら通ったことから帯坂と呼ばれるようになったと伝わる。
(岐阜県羽島市桑原町 2007年9月13日)
平成13年(2001)まで存在した名鉄竹鼻線終点大須駅の駅前である。現在はこの地を拠点に、竹鼻線羽島市役所前から大須までの代替バスと、大須から高須方面のバスが走っている。因みに地名の大須は、名古屋の大須観音の旧跡地でもある。