(静岡県磐田郡佐久間町 2001年8月15日)
踏査順:飯田線佐久間・佐久間町立図書館・佐久間遺跡・殿島橋・歴史と民話の郷会館・佐久間町役場・天竜川土木事務所佐久間支所・天竜川橋梁・三信鉄道建設工事殉職碑・佐久間レールパーク
約二年ぶりの佐久間町。然し、佐久間駅に降り立つのは初めてである。町の図書館と兼ねている駅を後にし、付近の一番家が建て込んでいる辺りが、縄文時代からの人の営みが続いているところである。思いのほか商店が多くみられたが、役場がある地区のためか、僅かではあるが中部天竜より栄えているように感じた。その役場であるが、人気のない建物だけがあり、何処かへ移転したものと思い川の方へ向かう。天竜川と河内川の合流点に新しい建物を発見、歴史と民話の郷会館を併設し移転した模様である。そこから佐久間中学校を横切り、天竜川鉄橋を渡って中部(なかべ)地区へ向かった。
(奈良県橿原市今井町 重要伝統的建造物群保存地区)
横大路(伊勢街道)の南、堀・土塁を持つ城郭構造の町である今井町は、中世の環濠集落に始まり、永禄年間に称念寺の寺内町として整備され、石山合戦の際には実際に城郭として使われた。江戸時代以降は商業が栄え、今も往時の風情が残されている。
蘇武井
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(Firenze イタリア共和国トスカーナ州フィレンツェ県フィレンツェ市 世界文化遺産)
中世はフィレンツェ共和国、近世はメディチ家統治のフィレンツェ公国、そしてトスカーナ大公国として栄えた。現在の街並みは、主にメディチ家時代に形成されたものである。メディチ家廃絶後はイタリア王国となり、一時首都となった。
ファエンツァ通り
リカーソリ通り
プロコンソロ通り 鐘楼はバルジェッロ国立美術館
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 1436年完成(工期140年)
ジョットの鐘楼 1387年完成 高さ84m
ペコリ通り サンマリノ領事館とフィレンツェ大司教
ウフィッツィ美術館 1580年完成
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂 1246年着工
(東京都豊島区池袋)
約三年振りの池袋である。この日は歓楽街の宿に泊まり、独特の雰囲気を感じた。基本はビジネスホテルだが、時間休憩制、防水マットレスにシーツ、扉式の内窓、広いバスルームの洗い場、栄養ドリンク&小型マッサージ機の販売、フロントを通らない外階段等々…。翌日、各線合計で世界第二位の乗降客数とされる池袋駅から、西武線で西に向かった。
(長野県塩尻市奈良井)
奈良井駅の近くに、車両が保存されている一角がある。酒井工作所製5tディーゼル機関車95号機と、B形客車(王営助六No.5)と運材台車である。B型客車とは、ボギー車(台車が水平に回転する車両)のことで、王営助六は王滝営林署、助六谷のある鯎川(魚偏に成:うぐいがわ)森林鉄道の所属という意味である。元々は奈良井の黒川森林鉄道で使用されていたものを、昭和34年(1959) の廃線後、鯎川線に移籍したものという。その鯎川線も昭和51年(1976)に廃止となり、これら車両は黒川線ゆかりのこの地に還り保存された。
(静岡県磐田郡佐久間町 1990年8月21日)
14年振りの山間の地を訪れる。家から飯田線で90分、渓谷、トンネル、900m前後の山々を通り、斜面に並ぶ民家の光景は、まさしく「国境いの村」という様相であった。佐久間は遠江・三河・信濃との交流のある地で、少しは開けているが、14年前(昭和51年)と殆ど変わっていなかった。然し、以前訪れたときはダムまで国鉄バス時代の車両を利用した共益バスが通っていたが、廃止されていた。先ず、事前に連絡しておいた、昭和56年開館の郷土遺産保存館に行き、山の生活、天竜川の水運で栄えた林業や先史時代の半場遺跡等の展示品を館長庄田氏から案内を受けながら見学し、資料を提供していただいた。館長は以前、新城高校一宮分校の教員で、今年4月から保存館の館長に就任した人物である。また館長のご厚意で、佐久間ダム、電力館、展望台等を案内していただき、最後は中部天竜駅でお別れをした。
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(栃木県日光市山内 国指定重要文化財)
中禅寺湖から流れる大谷川に架かる神橋は、二荒山神社の神橋である。最初にこの地に架けられたのは大同三年(808)で、下野国司の橘利遠が「山菅橋」を架け、以後十六年毎に架け替えられたという。日光山整備後の寛永六年(1629)架け替えられ、寛永十三年(1636) には、現在の形(反り橋、橋長27.8m,幅員7.4m)に造り替えられている。然しながら、明治35年(1902) 台風による大谷川の洪水によって流失し、明治37年(1904)に再建(現存)された。昭和31年(1956)に解体修理され、平成13年には修繕が施されている。
(北海道夕張市)
Twilight Expressで半年振りの札幌に到着後、時間的に予定通りであったので、新札幌から夕鉄バスで夕張に向かうことにした。このときは夕張市民会館(アディーレ会館ゆうばり)で三菱大夕張鉄道保存会主催の「鉄道遺産活用シンポジウム」が開かれ、同保存会による夕張の鉄道遺産に関する現状報告や、北海道鉄道遺産ネットワークの三笠振興開発、丸瀬布いこいの森、狩勝高原エコトロッコ鉄道等の紹介、そのほか北海道鉄道観光資源研究会、北海道鉄道文化保存会等、道内各地の鉄道遺産活用に取り組む各団体及び各氏により、地域活性化策について報告、紹介、討議がなされていた。シンポジウムに先立って、財政破綻により閉鎖中の夕張SL館に向かい、夕張鉄道14号蒸気機関車、ナハニフ151客車、その他鉄道資料等、貴重な鉄道遺産を見学し、南大夕張駅跡にも向かった。
市民会館内 夕張本町駅コンコース跡
SL館
南大夕張駅跡
旧北炭清水沢火力発電所
夕張川清水沢ダム
夕張カレーそば
追分から今夜の宿の千歳へ
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1861年(文久元年)サンタ・ルチーア教会の跡地に開業したヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅は、日に450本の列車が発着し、8万人の乗降客が利用する。ホームは16番線まであり、イタリア国内各地を始め、スイス、ドイツ、オーストリアからの列車も発着する。私はここからFS(トレニタリア:旧イタリア国鉄)ではないNTV社運営のイタロに乗車する。イタリアの鉄道は日本と同じ左側通行であり、ヴェネツィア・ロヴィーゴ・ボローニャ線の1842年完成の複々線鉄道橋を渡ると、イタリア本土側最初の停車駅で、5路線が分岐するヴェネツィア・メストレ駅に差し掛かる。在来線を走るため、暫くは通常の特急程度(160km/h)の速度で走るが、次のパドヴァ駅、ボローニャ駅に停車した後、2009年に開通したボローニャ・フィレンツェ高速線に入ると300km/hの速度で走る。そしてイタリア最長18.7kmのトンネルを越えると、フィレンツェ・サンタマリア・ノヴェッラ駅に到着する。
FS E.464機関車と二階建てヴィヴァルト客車
FS E.464機関車とスイス・ドイツ乗り入れ仕様のETR610
ヴィヴァルト客車とオーストリア連邦鉄道(OBB)の客車
FS E.464機関車とAGV575(イタロ)
ETR500 1次車(フレッチャビアンカ:白い矢)と振り子式のETR600(フレッチャアルジェント:銀の矢)
FS MDVC(中距離中央扉客車)
フェラーリカラー・設計最高速度360km/hのAGV575
自転車マークのあるヴィヴァルト客車
AGC(旭硝子)現地事業所の製品
イタロ車内
ヴェネツィア・サンタ・ルチーアを出発(LRT構想のあるリベルタ橋)
ヴェネツィア・メストレ駅を過ぎ
パドヴァ駅に停車中のETR340 FLIRT(フリルト:低床式車両)
指定席車に配られる飲料とスナック
ボローニャ駅
イタロとフレッチャロッサが停車するフィレンツェ・サンタマリア・ノヴェッラ駅
(関連記事:フィレンツェ)
(富士急行河口湖線 山梨県南都留郡富士河口湖町船津 2005年9月9日)
富士急行の終点河口湖駅は、標高857mに位置し、昭和25年(1950)に開業した、河口湖最寄り駅である。
フジサン特急2000形(旧JR165系パノラマエクスプレスアルプス)と1000形(旧京王5000系)
(関連記事:フジサン特急)