(千葉県銚子市外川町)
大杉神社の鎮座する場所は、市内高神西町に鎮座する渡海神社の旧跡とされる。渡海神社は和銅二年(709)に創建され、津波により貞元元年(976)現在地に遷座された。その後、崎山次郎右衛門により外川港が形成されて以降、再びこの地に海の守り神として常陸大杉神社(茨城県稲敷市阿波)より倭大物主櫛甕魂命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)を勧請し、阿波(あんば)様と呼ばれ信仰されている。
(有渡八幡神社 静岡市駿河区八幡山 2010年10月12日)
南側の有東山と同じく独立丘陵の八幡山(やはたやま)の西側には、山名の由来ともなった推古天皇五年(597)あるいは神護景雲三年(769)創建と伝わる八幡神社があり、誉田別命(応神天皇)を祀る。永禄十一年(1568)武田信玄の駿河侵攻によって兵火に遭い記録を失ったが、文久元年(1861)の地誌「駿河志料」によれば、寛元元年(1243)駿河国惣社別当憲信によって大般若経がこの社に寄進され、更に明応三年(1494)今川氏臣福島助春が再寄進した旨が記されている。また、慶長十八年(1613)徳川家康が楼門を寄進したが、第二次世界大戦により焼失している。
(千葉県銚子市外川町)
明暦二年(1656)紀伊国有田郡広村の漁師、崎山次郎右衛門が海難に遭い、銚子半島の飯沼村や高神村の村人に助けられた。次郎右衛門は恩返しからこの地に移り住み、マカセ網漁を広め、港を造り故郷から人を呼び寄せて町を造った。その繁栄振りから「外川千軒大繁盛」と呼ばれた。
(静岡市駿河区有東 2010年10月12日)
静岡県で二番目に低いとされる標高35mの有東山に鎮座する。創建は不詳ながら、祭神は闇淤加美神(くらおかみのかみ)を主祭神とし、明治時代に近隣の多くの小社を合祀している。また、社名、地名の有東(うとう)はアイヌ語の突起に由来し、神社のある独立丘陵をさすという説がある。
(千葉県銚子市)
大正2年(1913)銚子遊覧鉄道として、銚子駅-犬吠駅間5.9kmを開業したことに始まる。然しながら、経営不振により大正6年(1917)廃止された。その後、銚子鉄道が遊覧鉄道の跡地を利用して、大正12年(1923)に復活し、路線を外川駅まで0.5km延長した。昭和23年(1948)企業再建整備法により銚子電気鉄道の経営となったが、現在に至るまで経営は芳しくなく、公的補助やネーミングライツ、近年は食品販売が収益の大半を占めている。
(千葉県銚子市新生町)
昭和53年(1978)まで、銚子駅より0.8km先総武線の終点であった新生(あらおい)貨物駅は、明治33年(1900)総武鉄道の砂利輸送のために開設された。その後、銚子の産業の貨物駅として機能し、昭和19年(1944)には新生駅から漁港まで千葉県営臨港線1kmが敷設され、ヤマサ醤油の専用線も敷設された。廃止後の跡地は、昭和57年(1982)銚子市が中央みどり公園として整備している。
(佐賀県西松浦郡有田町本町 2010年7月25日)
みどり号で有田駅に降り立つ。明治30年(1897)九州鉄道長崎線(1934-佐世保線)の駅として開業し、翌年有田駅を起点とする伊万里鉄道(1945-松浦線)が開業した。明治40年(1907)国有化されたが、昭和63年(1988)松浦線が第三セクター松浦鉄道西九州線として分離されている。現駅舎は平成8年(1996)有田焼の登り窯をイメージして改築されたものである。
(千葉県銚子市新生町)
大正15年(1926)濱口義兵衛商店(1928-ヤマサ醤油)十代目店主濱口梧洞が設立した、財団法人公正會の社会施設である。RC造2階の会館内には図書館、公正学院が併設された。第二次世界大戦の銚子空襲の際には臨時病院として利用され、昭和24年(1949)市に寄贈された。銚子市公正市民館、銚子市公正図書館として利用されたが、昭和58年(1983)図書館は移転し、平成13年(2001)市民館も移転したため、以降は銚子市中央地区コミュニティーセンターとして利用されている。
(千葉県銚子市)
関東最東端、利根川河口の港町である銚子は、日本一の水揚げ量を誇り、水産加工業、醤油醸造業等の産業が盛んである。江戸時代は江戸や東北への水運でも栄え、関東三位の人口を誇ったが、現在は過疎化で5万人台の人口である。