flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

旧薬種商原三

2021-07-31 00:00:00 | 木のたてもの

(松本家住宅 岐阜県高山市上川原町 国指定重要文化財 2008年4月15日)
 文久二年(1862)に築造された商家である。明治8年(1875)の高山大火も免れ、明治45年(1912)からは松本家が引き継ぎ、蝋燭、練油、金貸業を営んだ。
 

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飯山観音

2021-07-30 00:00:00 | ほとけのいおり
(真言宗飯上山長谷寺 神奈川県厚木市飯山)
 東丹沢白山に建つこの寺は、神亀二年(725)行基によって創建されたと伝わる。大同二年(807)には空海が教場とし、領主飯山権太夫が伽藍を造営した。飯山観音と呼ばれる由縁は、鎌倉幕府御家人である安達義景が十一面観音とそれを安置する観音堂を造営したことによる。嘉吉二年(1402)銘の梵鐘は、昔、僧が撞鐘を怠ったところ、一夜にして梵鐘が姿を消した。後に夢告によって地中から掘り出されたため、「飯山の隠れ鐘」と呼ばれる。また、仁王像と仁王門は宝永六年(1709)に造営されたものという。













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飛騨天満宮

2021-07-29 00:00:00 | かみのやしろ
(岐阜県高山市天満町 2008年4月15日)
 延喜三年(903)飛騨国権掾(ごんのじょう)の菅原兼茂が父道真の死を悼み、自ら道真像を彫って祀ったのが始まりと伝わる。天正年間に松倉城主三木自綱(姉小路頼綱)が、正保年間には高山城主金森重頼がそれぞれ社殿を造営している。
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井山神社龍藏大権現

2021-07-28 00:00:00 | かみのやしろ
(龍藏神社 神奈川県厚木市飯山)
 神亀二年(725)行基により創建したと伝わる。級長津彦命(しなつひこのみこと)を祀り、かつては別当(神宮寺)である飯谷山藤井坊龍藏院が存在した。治承四年(1180)源頼朝の願により、神祇官(白河殿)奉幣の相模国六十一社の一となり、天正十九年(1591)社領二石の朱印状を受領している。宝暦元年(1751)に拝殿が、天保四年(1833)には本殿が再建されている。
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中野照蓮寺

2021-07-27 00:00:00 | ほとけのいおり

(岐阜県高山市堀端町/旧所在地:大野郡荘川村中野 国指定重要文化財 2008年4月15日)
 建長五年(1253)嘉念坊善俊によって白川郷鳩ヶ谷(白川村鳩谷)に正蓮寺が創建された。永正元年(1504)白川郷中野(荘川村中野)に移転し、照蓮寺として再興された。天正十六年(1588)照蓮寺が分離し、高山城下(鉄砲町)に照蓮寺(高山別院)を建立。中野の照蓮寺は江戸時代に心行坊と称したが後に復し、昭和36年(1961)御母衣ダムによって水没することになり、永正の再興の際に建立された本堂と共に現在地に移転した。
   建武元年(1334)銘の梵鐘

  中門 天正二年(1574)
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愛甲飯山

2021-07-26 00:00:00 | 街道・宿場町
(神奈川県厚木市飯山)
 東丹沢の麓、飯山。かつて存在した飯盛山の形が器に飯を盛ったような形をしていたことから飯山と呼ばれるようになったという。また、金剛寺を開基した空海が托鉢の米を飯盛山から流れ出る水で研いだため、白濁した川であったという言い伝えがある。平安時代には印山郷と呼ばれた。付近は飯山白山森林公園となっており、小鮎川沿いには温泉宿がある。















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日下部家住宅・吉島家住宅

2021-07-25 00:00:00 | 木のたてもの

(岐阜県高山市大新町 国指定重要文化財 2008年4月14日)
 明治8年(1875)の高山大火後に築造された二軒の隣り合う商家。

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本厚木

2021-07-24 00:00:00 | 街道・宿場町
(厚木街道 神奈川県厚木市)
 厚木市の中心地である本厚木。相模川対岸海老名市に存在する旧相模鉄道(1944-相模線)厚木駅が先に存在したため、本厚木と名付けられた小田急線駅の街である。古くは大山街道(矢倉沢往還)の宿場として栄えた。









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飛騨宮川の四月

2021-07-23 00:00:00 | 水のほとり

(岐阜県高山市 2008年4月14日)

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日向薬師

2021-07-22 00:00:00 | ほとけのいおり
(神奈川県伊勢原市日向 国指定重要文化財)
 霊亀二年(716)行基によって霊山寺として創建したと伝わる。源頼朝が旅装から白装束に着替えたと伝わる衣裳場から参道を上がると、三河鳳来寺を思わせる自然林と地形に合わせた石段が続く。辺りにはイロハモミジ、ケヤキ、スダジイ、モミ等「寺林」と呼ばれる樹木が県指定天然記念物となっている。途中にある仁王門及び仁王像は天保四年(1833)に焼失したものを同年再建したものである。日向薬師には平安、鎌倉時代の仏像六躰が伝わり、平安時代の歌人で大江相模守公資の妻である相模が日向薬師を詠んだ歌や、「吾妻鏡」には頼朝の妻北条政子が安産祈願をした記述がみられる。最盛期には十二坊存在したが、廃仏毀釈により廃寺となり、宝城坊が霊山寺の寺籍を継いでいる。




































万治三年(1660)本堂



現存する梵鐘は暦応三年(1340)銘
鐘堂宝暦十三年(1763)


足利基氏幡かけ杉樹齢八百年




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薫風の乙川

2021-07-21 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県岡崎市 2008年4月27日)

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衣裳場

2021-07-20 00:00:00 | いにしえの人びと
(神奈川県伊勢原市日向)
 日向薬師の参道前に「いしば」と呼ばれる場所がある。源頼朝がこの場所において、旅装から白装束に着替えた場所という。
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名古屋代官町

2021-07-19 00:00:00 | 街道・宿場町

(名古屋市東区代官町 2008年4月25日)
 代官太田九左衛門が屋敷を構えたことに由来するという。町中には中山道の脇往還である善光寺街道(下街道)が通り、京大坂道、いせ道と刻まれた道標が建つ。

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白髯明神

2021-07-18 00:00:00 | かみのやしろ
(日向神社 神奈川県伊勢原市日向)
 日向道とやくし道の角に鎮座する神社である。奈良時代に日向薬師を開いた行基の協力者で渡来人である高麗若光(こまのじゃっこう)を讃えて創建されたと伝わる。社名の白髯(しらひげ)は若光の貯えた髯を表すが、昭和8年(1933)集落名の日向(ひなた)神社に改称された。近年まで社殿の屋根は茅葺きであった。







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建中寺

2021-07-17 00:00:00 | ほとけのいおり

(名古屋市東区筒井 2008年4月25日)
 浄土宗徳興山崇仁院建中寺は、慶安四年(1651)尾張藩初代徳川義直の菩提を弔うため、その子光友によって創建された。往時は石垣と堀に囲まれ、四万八千坪の敷地があったという。
   本堂 天明七年(1787)市指定
  経蔵 文政十一年(1828)市指定
  三門 慶安五年(1652)市指定
  総門 慶安五年(1652)市指定

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