(横浜市西区みなとみらい)
平成5年(1993)三菱重工業横浜造船所跡地に竣工した、SRC造70階地下3階塔屋付、延床面積392,885㎡,高さ296mの商業ビルである。平成26年(2014)あべのハルカス竣工まで日本一の高さのビルであった。
(東京都港区麻布台・虎ノ門・六本木)
麻布の我善坊谷と呼ばれる谷間の地を含む8haが再開発されたが、規模が大きいためバブル期に計画され着工までに30年を要した。建物は64階地下5階、2023年以降日本一の高さ325mの森JPタワーを合わせ、延床面積86万㎡,5,800億円の総事業費である。低層のガーデンプラザは、曲線を多用するイギリス人デザイナー、トーマス・ヘザウィックによる。
(東京都渋谷区道玄坂)
昭和42年(1967)渋谷区立大向小学校跡地に開業した、RC造9階地下3階塔屋付、延床面積35,367mの百貨店である。平成元年(1989)隣接駐車場が複合文化施設Bunkamuraとなり開業した。令和5年、再開発のため百貨店は閉店となり解体、東横店と共に本店機能を持つ東急百貨店の看板は失われた。(現在、渋谷ヒカリエや二子玉川フードショー等が本店として計上されている)
(東京都目黒区上目黒)
昭和41年(1966)建築家村野藤吾によって設計された、SRC造9階地下3階、延床面積46,814㎡のビルである。外壁にはアルミルーバーが充てられ、以降の建築に流行をもたらしている。平成12年(2000)千代田生命保険が経営破綻となり、目黒区に売却され、内部改修の後、区役所として利用されている。
(メイテツハニー 東京都世田谷区太子堂)
昭和46年(1971)に築造された、RC造5階地下2階、延床面積8,387㎡の東海銀行世田谷東海ビル内に開店した百貨店である。昭和55年(1980)に撤退し、その後は世田谷区役所三軒茶屋分庁舎が入った。
(東京都目黒区下目黒)
明治40年(1907)目黒通り沿いに開設された、一周1マイル(1,609m)の競馬場である。その後、借地契約期限経過と施設が手狭になったことから、昭和8年(1933)府中に移転された。移転後は宅地化されたが、一部に往時の外周道路が区道として弧を描いている。昭和58年(1983)には当地で活躍したトゥルヌソル号の銅像が目黒通りに建てられた。
(東京都中央区日本橋兜町)
昭和11年(1936)建築家西村好時によって設計され、清水組(1948-清水建設)によって築造された、RC造3階塔屋付の社屋である。昭和19年(1944)合併により山二証券となっている。
(東京都港区北青山)
昭和22年(1947)明治神宮外苑に東京ラグビー場として開設された。昭和28年(1953)日本ラグビーフットボール協会の名誉総裁であった秩父宮雍仁親王薨去により、遺徳を偲んで秩父宮ラグビー場と改称されている。昭和37年(1962)特殊法人国立競技場に移管され、昭和48年(1973)に改修が行われている。今後、神宮球場跡地に新ラグビー場が建設される計画となっている。