(神奈川県小田原市根府川)
小田原から熱海、三島を結ぶ東海道の脇往還である根府川通りが通るこの地は、背後に山が迫り、地名を根府川(ねぶかわ)という。由来は海中に落ち込む崖の根が深いためという説があり、箱根外輪山からの溶岩が、白糸川の渓谷に沿って流れ、それが落ち込んだところということである。故に根府川石という石材を産出し、各地に運ばれて石碑等の材料となっている。関東大震災の際に白糸川に沿って地滑りが起き、当時は熱海線であった根府川駅と停車中の列車もろとも相模湾海中に転落し、多くの死者を出した。翌年、駅、路盤と共に長さ199mのワーレントラス橋である白糸川橋梁が再建された。その橋桁の下には釈迦石像を安置する半地下式の釈迦堂がある。
(東京都大田区大森)
大森区、蒲田区の合併で誕生した大田区の由来の一つである大森は、旧東海道の品川、川崎の間の宿(あいのしゅく)として栄え、かつては海苔の養殖も盛んであった。今は工業地帯に隣接する住宅地となっていて、埋め立てられた海岸の一部は平和島、平和の森公園及び人工砂浜や干潟のある大森ふるさとの浜辺公園として整備されている。
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(東京都品川区西品川・二葉)
かつては蛇窪村と呼ばれたこの辺りは、正保年間(1644-47)村の鎮守である天祖神社が蛇窪村の分村を機に、上神明天祖神社と下神明天祖神社に分かれた。昭和11年(1936)大井町線戸越駅がこの社名冠部分を採用し、下神明駅に改称された。
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(天祖神社 東京都港区三田)
都会化した三田の一角に残された緑の丘がある。社伝によると寛弘二年(1005)に一条天皇の勅命により創建したとされ、渡辺綱(源綱)の守護神として崇敬されたという。江戸時代に入ると、飯倉神明宮(1872-芝大神宮)と統合されることになったが、住民はこれを阻止し現在に至っている。
(東京都港区三田)
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に名が見える三田(みた)は、縄文時代後期の伊皿子貝塚から人々の営みがみられ、江戸時代には多くの武家屋敷が建ち並んでいた。肥前島原藩中屋敷跡の慶應義塾大学をはじめ、伊予松山藩中屋敷跡のイタリア大使館、大和柳本藩織田家屋敷及び蜂須賀家邸宅の跡地に建つオーストラリア大使館、聖坂には丹下健三設計のクウェート大使館があり、また日向佐土原藩島津家上屋敷跡に建つ、旧三井家邸宅及び迎賓館の綱町三井倶楽部がある。
伊皿子坂
蟻鱒鳶ル(ありますとんびる)
(愛知県豊川市大崎町門 2001年4月1日)
この日は住吉神社の祭礼が行われており、御旅所(神体を乗せた神輿の休憩場所)に人々が集まっていた。
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(東京都品川区東五反田)
五反田の山の手である五丁目は、池田山と呼ばれる高級住宅地として知られる。その一角に「ねむの木の庭」があり、かつては美智子皇后の実家である正田邸があったが、相続対策で売却され、平成16年に品川区立公園となった。「ねむの木」は皇后が作詞した「ねむの木の子守歌」に因む。また近隣の池田山公園は、備前岡山藩池田氏の下屋敷があったところであり、私有地を経て昭和60年(1985)より区立公園として開放されている。
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