(静岡県熱海市上多賀字宮脇)
多賀の地名由来である多賀神社は、旧田方郡上多賀村の鎮守であり、明治6年(1873)に現社名になるまで、日少宮(にのわかみや)と称した。正徳年間(1711-6)に近江多賀神社より伊邪那岐命、伊邪那美命を勧請するまでは、延喜式神名帳に記載される白波之彌奈阿和命神社の後継神社と推定されている。
(岐阜県郡上市八幡町柳町一ノ坪 2007年11月23日)
神護景雲元年(767)郡上郡気良村(奥明方)に泰澄によって宝剱を神体として祀った鳥居宮が始まりと伝わる。ある年の旱魃の際、神体の宝剱を川で洗ったところ、俄に雨が降り出して豪雨となった。そして川は増水し剱を押し流してしまった。その後、吉田川の川岸の岩に流れ着いているところを清水彦右衛門という人物が拾い、慶長十九年(1614)郡上藩初代遠藤慶隆によって城内に社が建てられた。
(岐阜県郡上市八幡町稲成 2007年11月23日)
昭和4年(1929)鉄道省(1949-日本国有鉄道)越美南線の駅として開業した。昭和61年(1986)第三セクター長良川鉄道転換後も、開業当時の駅舎と施設が現存している。
(岐阜県郡上市八幡町島谷 国登録有形文化財 2007年11月23日)
吉田川のほとりに建つ洋風建築は、昭和11年(1936)に竣工した木造2階建、延床面積797m2の庁舎である。平成6年(1994)まで役場として利用され、平成11年(1999)からは郡上八幡旧庁舎記念館として利用されている。
(東京都渋谷区大山町)
代々木上原の西、かつて鬱蒼とした山であったことから大山と呼ばれたこの地。長州藩士木戸孝允によって農園として開発され、大正2年(1913)大山園という庭園となった。その後、一部が徳川頼倫の所有となり、徳川山と呼ばれた。昭和2年(1927)には箱根土地(後の西武)により大山園分譲住宅として再開発されている。