(東京都新宿区歌舞伎町)
日本一の歓楽街である歌舞伎町。現在のような街になったのは高度経済成長期以降であり、それまでは地名も大久保、三光、角筈であったが、戦後の復興で歌舞伎演舞場を設ける構想から歌舞伎町と改名された。
(愛知県蒲郡市三谷町鳶次 2011年6月29日)
三谷温泉の旅館の一つである。昭和56年(1981)隣接する松風園のグループである、ひがきホテルに買収されたが、その後は放置されて緑に埋もれた状態になっている。
(東京都世田谷区太子堂)
三軒茶屋・太子堂四丁目地区市街地再開発事業として平成8年に竣工した、S造27階地下5階塔屋付(高層棟)・SRC造9階地下3階(中層棟)・RC造4階地下4階(低層棟)、延床面積77,365m2のオフィス、店舗、公共施設、ホールからなる複合ビルである。ビル名は公募により名付けられ、外壁の色が人参のようであったことからという。
(名古屋鉄道5700系 2011年6月27日)
昭和61年(1986)5000系・5200系の後継車両として導入された系列である。当時は国鉄とのサービス競争により、転換クロスシート、座席数確保のための二扉等が主流であり、同様の設備で設計された。5700系は新造車であるが、コストダウンにより足まわりを5000系列から流用した5300系も導入されている。
(川崎市川崎区港町・富士見)
川崎駅東側、多摩川に沿ったこの地は、美空ひばりの歌「港町十三番地」のモデルの地であり、所属レコード会社の日本コロムビアもこの地に存在した。また、日本蓄音機によるレコード国産発祥地でもあり、京浜急行の礎である大師線が通る。また東側は味の素工場、南側には川崎競馬場があり、かつて東芝鋼管があった場所は大型商業施設「ミナトマチプラザ」となっている。
(愛知県岡崎市明大寺本町)
名鉄東岡崎駅前に高度成長期のテナントビルがある。昭和38年(1968)に築造された、RC造5階地下1階、延床面積3,300m2のテナントビルである。開業当初のメインテナントは、大手流通会社ユニーの起源の1社である呉服商ほていやであり、昭和45年(1970)には、近隣に開業したユニー東岡崎ショッピングセンターに統合され、後継は暫定的にユニー東岡崎ハウジングセンターとなったが、昭和50年(1975)にショッピングセンターに統合され、富士ビルからユニーは撤退している。その後は小規模な店舗やオフィス、住居テナントとなり、近年は管理会社が変わって第二新星ビルに名称変更している。
(東京都渋谷区代々木)
代々木駅前に周囲と風貌の違う建物がある。昭和38年(1963)に築造された、RC造6階地下1階塔屋付、延床面積1,947m2(屋上増設部分除く)のテナント・住居ビルである。東京オリンピックに伴う代々木駅西口の整理・道路拡幅により、バラック商店の一部を入居させている。昭和49年(1974)には、テレビドラマ「傷だらけの天使」のロケ地「エンジェルビル」として使われた。平成17年、再開発計画によりテナントの退去が進められたが、区分所有となっている権利者問題等により頓挫し、現在も水面下で所有者の移転が行われている。また、平成23年東北地方太平洋沖地震により、1階の中華料理店が経営していた屋上ビアガーデン併設の増設ペントハウス躯体が損傷し、地上に落下する恐れが出ている。近隣には同時期に築造されたビルが多数あるが、高度成長期の低品質建築による劣化と、その後のメンテナンスの有無によってこれだけ違ってくことが分かる。
(愛知県知立市上重原町本郷 2006年3月13日)
弘仁六年(815)最澄によって天台宗の寺院として創建したとされ、貞永元年(1262)浄土真宗に改宗されている。現在の本堂は明治32年(1899)、山門は天保十五年(1844)建立であり、境内には樹齢500年のイブキ、ソテツとクスがあって、平成3年までは蓮台の松と呼ばれたクロマツがあった。