


















(奈良県吉野郡吉野町吉野山 2008年4月21日)
標高750mの奥の千本には、平安時代後期から鎌倉時代初期の僧西行が三年間暮らしたという。西行は武家に生まれたが、二十二歳のとき突然出家し、宗派には属さず諸国を流浪して歌を読み続けた。吉野に住した際に詠まれたとされる歌に「願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」がある。
(臨済宗洪隠山西芳寺 京都市西京区松尾神ヶ谷町 世界文化遺産 国指定特別名勝 国指定史跡 国指定重要文化財)
飛鳥時代、聖徳太子自身が制作した阿弥陀如来像を祀る別荘がこの地にあったという。天平年間(729-49)聖武天皇の勅願により行基によって別荘を法相宗西方寺に改めたとされる。その後、空海が一時住し、法然が浄土宗に改宗したという。南北朝時代の争乱で荒廃したが、暦応二年(1339)松尾大社宮司の藤原親秀の招請で禅僧夢窓疎石によって臨済宗西芳寺に改められ再興された。夢窓疎石によって枯山水と池泉回遊式の庭園が作庭され、足利義満、義政はここで坐禅をし、金閣、銀閣への築造に繋がった。黄金池のほとりに建つ湘南亭は、千利休の次男である千少庵が建立した。文久二年(1862)尊王攘夷派の攻撃を避けるため、岩倉具視は湘南亭に匿われたという。
(三重県名張市平尾 2008年4月19日)
嘉永六年(1853)名張の平尾村は高台であったために旱魃になりやすく、平尾村年寄役市橋武助が名張川上流比奈知村庄屋の大道寺与兵衛に相談をし、両者の私財により6kmの用水を開削した。明治2年(1872)に完成し、その功績を讃える高さ4.6mの石碑が建立された。