flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

継鹿尾山 浣華渓

2006-01-31 05:30:05 | ほとけのいおり

(愛知県犬山市継鹿尾(つがお))
 秋には、もみじの郷里と言われる、真言宗継鹿尾山八葉蓮台寺寂光院へ辿り付く。
文字通りの雰囲気が漂うが、崇高なのであろう境内は奉納物に溢れており、様々な神仏が安置されている。
 この寺は、白雉五年(654)孝徳天皇の勅願によって建立され、永禄八年(1565)織田信長が参詣し、清洲城鬼門鎮護として黒印五十石、山林五十町歩を寄進している。

 継鹿尾山からは、木曽川と、鵜沼の紡績工場跡がよく見える。そして、不老の滝、木曽川浣華渓、桃太郎神社へと足を進めた。
      

(関連記事:犬山城 善師野 犬山平成二十年 犬山祭
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善師野

2006-01-30 00:38:36 | 街道・宿場町

(東山道 上街道 犬山街道 愛知県犬山市善師野)
 今まであまり訪れなかった一角、東海自然歩道尾張地内のうち、犬山北東部を訪れてみることとした。
 駅の西方は、木曽街道(上街道)善師野の宿である。集落を通り、熊野神社方面へ続く道は、東山道(古中山道)であったといわれている。また、上街道と犬山の城下を結ぶ短絡の犬山街道がこの地で分かれていた。
 新興住宅地四季の丘西側の丘に鎮座する熊野神社は、小さな社ながら信仰心を刺激されるような力を感じとれた。また、様々な金石信仰対象があり、更に徳が篤くなるような思いがした。
 神社の丘の辺りは、1700万年前に池があったと推定され、その周辺に自生していたメタセコイア等の植物化石層が露呈しており、悠久の時も合わせて感じとれた。
ここから北4kmの、もみじの郷里と言われる寂光院方面へと向かう。
        

(関連記事:犬山城 桃太郎神社 犬山祭

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川路役ノ行者

2006-01-29 00:00:04 | 石のまもり
 欽明6年(634)大和国高田に生まれた役小角(えんのおづぬ)は、呪術者であり修験道の開祖としても知られる。
後に吉野山金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いた。
後の世の寛政11年(1799)には、朝廷より、神変大菩薩の称号が追贈された。
役小角は、平安前期に書かれた「日本霊異記」によると、五色の雲に乗って、果てしなく大空の外に飛び、力を養う霞などを吸ったり、食べたりでき、更に洞窟に住み、葛を着、松を食べ、孔雀の呪法を会得し、不思議な威力の現れる仙術を身につけることができたと記している。

「川路の役ノ行者」は、武田軍と織田徳川軍が戦った長篠の戦い、設楽ヶ原の一角に位置し、近くに滝のある森の中にひっそりと佇んでいる。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

節水

2006-01-28 00:00:47 | kourei-ki-日記-
 豊川水系、給水制限が始まった。
最上流にある宇連ダムの貯水率が平年の半分、13%までに落ちた。
然し近年築造された、同じ水系の大島ダムや万場調整池の貯水率は60%とまだ余裕がある。
宇連ダムの貯水率がいつも低いのは、水源地域に近過ぎるためもある。
豊川用水に上水道の殆どを頼っている、渥美半島や蒲郡市、湖西市などは影響を直接受けるが、その他の地域は伏流水を汲んでいるところが多く、影響は然程大きくない。

伏流水受益地域ながら、我が家でも節水の一助として水道管の水漏れチェックを行った。やはり漏水があり、修繕することとした。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛敬符 -あいきょうふ-

2006-01-27 00:00:57 | まちの違和感
 万人から愛されるという呪(まじな)い符。
古代から伝わるというものが、江戸前期の貞享元年(1684)に発行された「邪兇呪禁法則」という書物に記載されている。
この霊符は他人から愛され、敬われる符とされる。
書物に記された符を自分で書き写し、肌身離さず持っているか、壁に貼ることで、効力を発揮するといわれ、後の神道人も効果が高い符として紹介している。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一蓮托生 -いちれんたくしょう-

2006-01-26 17:41:34 | 天祐語録
 一般的に運命を共にするという意味に使われている。
然し本来は、皆が浄土に生まれ変わり、同じ蓮の上で生きようという意味である。
「具会一処」も同意語。先立つ人も何時の日か仏の元で逢うことになるという意。

私もこの事柄に苦しんだ時期があったが、今では将来への楽しみに変わった。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化財防火デー

2006-01-26 00:00:40 | kourei-ki-日記-

 昭和24年、国宝である法隆寺金堂が火災で焼失した日が57年前の今日であり、文化財を火災や震災等から保護すると共に文化財愛護思想の高揚を図るために昭和30年に制定された日である。
  私の家の近くに、国指定重要文化財の大恩寺念佛堂という室町時代の建造物があったが、ロケット花火が屋根に付着し、引火炎上してしまった。
戦前から防火設備を万全にしていたところであったが、効力を発揮できずにこの事態となってしまったのは残念である。
(現存写真は、昭和58年のものである)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閉所拘束

2006-01-25 18:34:53 | kourei-ki-日記-
 拘置所生活…私はお陰さまで今のところお世話になってはいないが、内容からして然程辛いものでないと感じた。
私が過去に経験してきた同等、それ以上の拘束、制限、屈辱を比べたとき、カルチャーショックはないなと思ったのである。
欲望の調節ができる私にとって、いつでも準備万端といったところか。
然し、生活環境圧力に対しては問題はないものの、人間的圧力だけは耐えがたいかもしれない。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いぬじるし

2006-01-25 00:00:33 | 干支
 我が家にある戌の字の判子である。
ちなみに我が家の苗字は、既製品の判子では見当たらない名前である。
いつも特注で待たされる。
以前、我が家のポストに、私の下の名前だけの新しい判を、金襴皮張りのケースに入れて放り込まれていたことがあった。
私の知る範囲の人に尋ねたが、誰も知らないという…。
結局、分からずじまいである。
十分?のカテゴリに入りそうな事件であった。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻籠での違和感

2006-01-24 00:00:39 | まちの違和感
 宿場で見かけた少し?なモノ。
紡ぎ機が外に掛けてある…単にオブジェ?
街道町屋の窓に見える妊婦?人形…この家に芸術作家がいるらしい。
落ちそうなバス…そこまでしなくても…
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失うもの多し

2006-01-23 17:01:11 | kourei-ki-日記-
 金を得ることの極地に達したために、行き詰まる会社。
これは某IT会社に限ったことではなく、営利を最優先した会社全てに言えることである。
IT業界はメディアを主に使って業務をしているため、真っ先に標的になるのであろう。

世の中、本当に無茶な金稼ぎはやめないか
金がために、「人」も信頼も失うぞ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻籠宿

2006-01-23 00:00:43 | 街道・宿場町
 三留野から、やがて妻籠宿の端に着く。
博物館となっている、国指定文化財の脇本陣跡の建物に入る。
囲炉裏が焚かれており、普段は飲食禁止の場所ながら、焼き餅、山菜の漬物、お茶の接待を受けた。
格子の窓から差し込む柔らかな日と囲炉裏の煙の光景は、この季節この時間ならではのものということであった。
蔵本であったこの家の主人を中心とした習わし、島崎藤村の初恋相手の家であったこと、宮家用の部屋、密談用の隠し部屋等の説明を受け、山間の歴史を知った。

 続いて町並みを西進、火災に遭わず江戸時代の家屋を多く残す地区、「寺下」へ向かう。
地区の始まりにスケッチする人がいた。
雪国町屋建築の続く町並みに、突如、洋風永久建築がそびえる…発電所である。雪解けの豊富な水量を利用した発電、この辺りには多数存在する。
バスに乗ろうと思いきや、今日は朝昼晩一本ずつしかなく、蘭(あららぎ)川沿いを下って歩くこととした。
磨耗した巨大な岩がごろごろしており、水の豊富さを改めて感じながら、南木曽の地をあとにした。
         
(関連記事:馬籠宿 桃介橋 読書の木のたてもの
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南木曽三留野

2006-01-22 00:03:01 | 街道・宿場町

(長野県木曽郡)
 木曽川沿い、南木曽の町を訪れた。
木曽福島、中津川へは訪れているが、この地は未だであった。
南木曽駅辺りは中山道四十一番三留野宿。次の妻籠宿までバスに乗るのが通常のようだが、敢えて歩くこととした。
駅横のD51が置いてあるSL公園のところから上り、狭い旧中山道を行く。
人も車も殆んど通らず、路面はアイスバーンであった。
気をつけながら峠を越える。
自分の息が気になる程の静かな道を歩きながら、途中の民家を見ると、何処の家も窓を開けていた。
寒いながらも山間は風が弱く、柔らかな日差しに包まれるからであろう。
街道沿いの信仰対象物に寄りながら、妻籠へと向かう。
       
(関連記事:三留野宿平成十九年

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CO2

2006-01-21 17:29:15 | kourei-ki-日記-
 昨年の地球博に関連して、様々な催しがあった。
公共交通等を利用して、二酸化炭素排出を抑えるというもの。
もう一つは、ユーカリの木を植えることによって二酸化炭素を吸収するというもの。
これらに参加した方々も多かっただろう。
日頃から徒歩、自転車、電車しか使わないことに決めている私にとって、さほど変化のない行動であったが、登録し、レポートすることによって今週までに合わせて二種類の“証書”が送られてきた。
去年は、親類が半世紀以上も前に、環境に取り組んでいた事実がネット上でわかり、意識が高まった年であった。
今年も、もっと環境のために進められることがあったら、参加していきたい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬埴輪

2006-01-20 00:04:08 | 干支
 古墳時代中期以降(5世紀以後)の権力者の古墳からは、稀に犬の埴輪が見つかることがある。
葬送儀礼として供献されたというのが、一般的な説である。
犬埴輪の中には、首輪を模ったものもあり、飼い犬としてあったことが理解できる。
(写真は、奈良県四条古墳出土、橿原考古学研究所蔵)
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする