(奈良県天理市中山町 2010年11月21日)
大和稚宮(おおやまとわかみや)神社とも称する。大和神社例祭神輿渡御の御旅所でもあり、大和神社と同じ祭神である日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)、八千戈大神(やちほこのおおかみ)、御年大神(みとしのおおかみ)を祀る。かつては観音堂と共に中山大塚古墳前方部に鎮座したが、明治維新の神仏判然令時、現在地に遷座された。
大和稚宮(おおやまとわかみや)神社とも称する。大和神社例祭神輿渡御の御旅所でもあり、大和神社と同じ祭神である日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)、八千戈大神(やちほこのおおかみ)、御年大神(みとしのおおかみ)を祀る。かつては観音堂と共に中山大塚古墳前方部に鎮座したが、明治維新の神仏判然令時、現在地に遷座された。
(神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴 旧郷社)
寛平元年(889)笠石(真鶴岬三ツ石)沖から船が流れ着き、船内から木像とその木像祀る旨が書かれた書状を平井翁という人物が発見した。その夜、平井翁は夢告により木像は大国主命とされ、貴宮(きのみや)神社を創建した。明治時代に至り、貴船神社と改称されている。
(奈良県天理市中山町 2010年11月21日)
少彦名神(すくなびこなのかみ)を祀る。創建は不詳ながら、天正十一年(1583)兵火により大和(おおやまと)神社が焼失した際に、歯定神社を仮座にしたという。かつては同じ読みの葉状神社と称し、農作物の神として崇敬されていたが、祭神が医薬の神であることから、現在は歯の神として崇敬され、社殿前には歯岩が置かれている。
(鳥取県米子市西町 2010年9月13日)
米子城跡である湊山公園には、昭和14年(1939)に鉄道省大宮工場で製造され、昭和48年(1973)に引退した、D51形195号機蒸気機関車が静態保存されている。
(神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴)
内袋の入江の上方、相模灘越しに伊豆半島や大島、初島が望めるこの地は、かつて小田急のサボテンランドであった。平成16年(2004)に閉園した後は町有地となり、お林展望公園となった。
(神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴)
明治初年、漁師が海難に遭い九死に一生を得たことから、内袋の海岸に岩窟を掘り、岩盤に磨崖仏を彫り始めた。然しながら完成させることができず、昭和28年(1953)に至り、石工三名によって完成された。同じくして隣に真鶴水族館が開館し、多くの人が訪れる場所となった。
(鳥取県米子市中町 2010年9月13日)
昭和5年(1930)に築造された、RC造3階塔屋付、延床面積2,030m2の市庁舎建物を、昭和57年(1982)新庁舎が南側に完成し移転したのを機に、市立山陰歴史館として昭和59年(1984)から利用されているものである。
(神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴)
昭和30年(1955)亀ヶ崎の内袋と呼ばれる入江に開館した、釣り堀併設の私立水族館である。昭和54年(1979)台風20号により被害を受け閉館し、長らく放置されていたが、平成17年(2005)解体された。現在、周辺は荒れ果て、水族館の基礎と釣り堀の名残のみ見て取れる。
(神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴)
番場浦の西側にある、相模灘に面する崎である。かつて亀ヶ崎観光ホテルという6階建て宿泊施設の計画があったが、建築途中で頓挫し、跡地が「焼肉要塞」と呼ばれる廃墟となっている。往時は散策路が海岸線の上下にあったが、今は自然に返りつつある。