(愛知県岡崎市筒針町池田 2007年11月5日)
往古矢作川の堤防を築いた際に「堤防神社」として須佐之男神を祀ったのが始まりと伝わる。建武二年(1302)足利直義と新田義貞による矢作川の戦いに際し、義貞臣畑時能の兜にあった八幡大神の神像を奉納したという。明治5年(1872)現在の社名に改められた。
(伊豆急行2100系電車リゾート21)
現在の黒船電車は二代目であり、平成18年(2006)に継承された。初代は昭和60年(1985)に旧100系の車体更新車として誕生した車両で、平成16年(2004)に下田開港150年を記念して黒船カラーに塗り替えられている。二代目は平成2年(1990)に製造されたシリーズ4次車であり、当初はリゾート21EXとして運用された。
(愛知県岡崎市大和町 2007年11月5日)
矢作川右岸の岡崎市北野町に発する鹿乗川は、農業排水路の性格を持ち、旧来は安城市木戸町で矢作川に合流していたが、土砂の堆積により合流が困難となり、合流先が安城市米津町、碧南市と流路が延長されていった。鹿乗の名の由来は、足利尊氏が増水した矢作川を前に立ち往生していると、三頭の鹿に導かれて無事矢作川を渡るがことができたことによるという。
(埼玉県川口市)
日光御成道川口宿があった東京都に隣接する埼玉県第二の都市川口は、江戸時代から鋳物産業が盛んな地であるが、高度成長期以降は東京のベッドタウンが急速に進み、人口が増加した。また、「本当に住みやすい街大賞2020」第1位に選ばれている。
(愛知県岡崎市東河原町黒石 2007年11月3日)
昨年岡崎市に合併した旧額田町、乙女川沿いにある小学校である。私自身が小学生の頃から杣坂峠を越え額田町に訪れたとき、必ず目にした山あいの小学校である。明治7年(1874)雨山学校として創立し、明治27年(1894)大代村、雨山村の雨山学校と河原村の河原学校が統合され、大雨河尋常小学校となった。(2010年宮崎小学校統合廃校)
(東京都調布市国領町)
武蔵国の国衙(こくが:役所)領に由来するこの地は、甲州街道布田五宿の一つ国領宿があった場所である。大正時代には京王線が開通し、平成24年には鉄道が地下化され駅周辺が再開発された。
(愛知県豊川市長草町藪下 2007年11月3日)
藪下橋付近から帯川合流地点まで、大雨後以外は水流を見せない。それは、その区間の地質に砂礫部分が多く、粘土層が深いところにあるため、増水時以外は水が浸透してしまうからである。竃や七輪の木炭の受け皿として、空気道を確保する穴のあいた皿を「サナ」(ロストル)という。その原理に似ていることから、さな川と呼ばれるようになったとされる。
(写真の木造橋境橋は現存しない)