flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

三河国分尼寺跡発掘調査

2008-12-31 00:00:43 | ほとけのいおり
(愛知県豊川市八幡町忍地 国指定史跡 1998年12月28日)
 保存整備事業を前提とした調査が進められていた。
 (金堂跡)

(関連記事:忍地 三河国分尼寺跡史跡公園 三河国分寺跡発掘調査 三河国分寺塔跡発掘調査 赤塚山古窯跡 第10次三河国府跡確認調査
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旧長崎英国領事館

2008-12-30 00:00:21 | STRUCTURE-構造物残影-
(長崎市大浦町 国指定重要文化財)
 オランダ坂の入口にこの建物は存在する。領事館は、明治41年(1908)に英国技師ウィリアム・コーワンが設計した、レンガ造二階建、床面積975.62㎡の本館と、職員住宅及び附属建物からなり、昭和17年(1942)まで領事館として使用された後、昭和32年(1957)市児童科学館として利用された。そして平成5年、長崎を多く題材にした画家の野口彌太郎記念館として利用されたが、老朽化が進んだことにより、一時閉鎖し保存改修されることになった。
  
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三谷海岸平成十年

2008-12-29 00:00:31 | 海道・みなと
(愛知県蒲郡市三谷町 1998年12月27日)
 冬になると、この海岸に来てしまう。
それは、私の出生の地に近いからかもしれない。
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長崎の夜

2008-12-28 12:00:00 | 漂い紀行
 当初、稲佐山からの夜景を予定していたが、ロープウェイの保守点検期間が伸びていたため、宿泊先から港を望むことになった。海に面した斜面に広がる街並みは、どこか外国の都市のようにも見え、今年向かうことのできなかった異国を思わす光景であった。
  
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東照公産湯井

2008-12-27 00:00:00 | 水のほとり
(愛知県岡崎市康生町)
 天文十一年(1543)十二月二十六日、この地において、父松平広忠、母於大の間に竹千代(徳川家康)が生まれた。その際、この井戸で水を汲み、産湯を沸かしたと伝えられている。

(関連記事:岡崎城 大林寺郭堀 菅生郭堀 五万石ふじ 岡崎城外郭 坂谷門 東照公胞衣塚
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オランダ坂

2008-12-26 00:00:13 | 街道・宿場町

(長崎市東山手町)
 活水坂切通しから、東山手十二番館洋風住宅群を経て、誠孝院オランダ坂に至る道は、文久年間に舗装され、居留地時代に外国人がよく歩く道であったために、俗に「オランダ坂」と呼ばれるようになったものという。今回は、オランダ坂近くの宿をとったため、夕刻と朝の散策を楽しむことができた。
          

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本宿陣屋

2008-12-25 00:00:00 | 城郭・城下町
(愛知県岡崎市本宿町南中町)
 元禄十一年(1698)柴田勝家裔柴田勝門が知行地支配のために陣屋を設けた。廃藩まで冨田氏が代官を務め、現在もその子孫が居住している。また、文政十年(1827)建造の母屋等が現存している。
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長崎中華街

2008-12-24 18:00:00 | 漂い紀行

 中島川を渡ると、辺りの様相が変わった。屋根の曲線、赤を基調とした色合い、中国の雰囲気が漂い始める。明治時代に入り、唐人屋敷、新地蔵所(唐人荷蔵)が廃止された際に、この場所に中華街が形成されたのが始まりという。
    

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山中古城

2008-12-23 00:00:12 | 城郭・城下町
(本宿城 愛知県岡崎市本宿町古城)
 松平重弘が築き、鉢地川を防御として利用した城であるが、現在は主に国道1号線、名鉄線、東名高速になっており面影はない。天文十六年(1547)松平宗家に反抗して織田信秀側に付いていた松平重弘は、その宗家に攻められ落城した(本宿城の戦い)城跡には重弘らの供養塔が建っている。
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中島川の石橋

2008-12-22 01:00:08 | 水のほとり

 坂が多く、谷合地形の長崎のまちを流れる中島川には、かつて十四の石橋が架かっていた。その代表的なのが国指定重要文化財の眼鏡橋(長さ22m)で、文字通り二連アーチの石積み橋である。最初の架橋は寛永十一年(1634)といわれ、以後修復、修繕を重ねながら今日に至っている。
 
(袋橋:慶安年間(1648-52)架橋 市指定有形文化財)

      (東新橋:昭和61年再建)
(眼鏡橋橋脚)
  
(眼鏡橋架設、唐僧黙子如定銅像)

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東海道 本宿

2008-12-21 02:00:04 | 街道・宿場町
(もとじゅく 愛知県岡崎市本宿町)
 国道1号線拡幅に伴って、本宿駅が高架化されてからは初めて降り立つ。東海道の赤坂宿と藤川宿の間の宿(あいのしゅく)であった本宿は、現在、山側の額田(ぬかた)や海側の蒲郡(がまごおり)に通じる道路の起点となっているため、赤坂や藤川より栄えているといえる。また、街道筋には、近藤勇首塚のある法蔵寺がある。
     
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長崎市立図書館

2008-12-20 00:00:41 | 学びのやかた
(長崎市興善町)
 かつて小学校が存在した場所に、平成20年市立図書館が開館した。従来は県立図書館のみであったが、これにより利用者は利便性が向上し、更に県立図書館と比較対照される存在となった。運営はPFI(Private Finance Initiative:官有民営)方式をとり、延床面積は11659㎡,蔵書は32万冊(能力80万冊)を有する。そして館内には、原爆被爆時の救護所が再現されている「メモリアルエリア」が存在する。
   
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東照公胞衣塚

2008-12-19 00:00:41 | いにしえびとの睡
(愛知県岡崎市康生町)
 天文十一年(1543)十二月二十六日、この地において、父松平広忠、母於大の間に竹千代(徳川家康)が生まれた。この塚は、出産時の胞衣(えな:胎盤)を納めたものと伝えられている。

(関連記事:岡崎城 大林寺郭堀 菅生郭堀 五万石ふじ 岡崎城外郭 坂谷門
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サント・ドミンゴ教会跡

2008-12-18 00:00:56 | いにしえの人びと

(Santo Domingo church 勝山町遺跡 長崎市勝山町)
 平成13年、勝山小学校改築に伴う発掘調査によって、土杭、礎石、石畳、石組地下室、排水溝、井戸と共に、花十字紋瓦、十字架等が検出された。慶長十四年(1609)薩摩国高城郡京泊(鹿児島県薩摩川内市)からドミニコ会(説教者修道会)によって教会を移転し、この長崎に建てられた。然し、慶長十九年(1614)禁教令によって教会は取り壊された。その後、この地には長崎代官の末次平蔵が屋敷を構えたが、末次氏が密貿易により失脚した後は、高木氏が代官を務め、この地からはそのときの中国とオランダの貿易による遺物が見つかっている。
(石組地下室跡)  (石畳跡)  (排水溝跡)
(井戸跡)

(関連記事:浦上天主堂

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岡崎公園 十二月

2008-12-17 15:00:31 | 城郭・城下町
(愛知県岡崎市康生町)
 勤務先近くの公園での、晩秋の朝の光景である。
  
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